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アメリカでの生活で考える私たち日本人の劣等感と私たちが持っているもの

日本人ならではの劣等感〜アメリカ的考えから覗き見る〜

今学校で仲良くしている女の子二人はソマリアとハイチからの移民の子。ちなみに黒人。

二人と話してて日本人としてハッとさせられることがあった。

ボストンで開催される日本の就活選考会「ボストンキャリアフォーラム」があってその話を彼らのしていた。日本のcrazyな就活システムなんて、説明しても彼らには一生理解できないんだろうけど。

いきなり、”アジア人かあ、、まあいけるよ!”って言われた(多分私がアメリカの会社に応募してると勘違いしている)
確かに「人種のるつぼ」アメリカでは、表面的ではないが人種差別は根強く残る。

教授や語学学校の先生は基本的に白人。ちょろっとアジア人。黒人の先生ってまだ見たことない。教育機関で働いている黒人はたくさんいるけど彼らの担当は、セキュリティスタッフや、事務職。うーん興味深い。

バスの運転手や交通機関で働く人は基本的に黒人。外で見かけるスーツを身にまとったビジネスマンは基本的に白人。ちょろっとアジア人。ケータイ会社で働くスタッフは黒人が多い。ファーストフード店で働く人は黒人やヒスパニック系が多い。

あと保育士さん黒人女性多め。常に人種を意識しながら街を歩いていると、2017年現在、グローバル社会と言われる現在にも、こうして社会的地位や人種差別が一目瞭然なところがなんとも不思議で違和感がある。自分もいつも街を歩いている時アジア人であることを意識せずに入られない。顔面に”アジア人”っていう看板をつけて歩いている気分(考えすぎか)

ところでソマリアの女の子が私にこう言ってきた

”私達なんかさ、生き辛い世の中だよ。ほら見て、私は黒人でしょboo、話し方がアフリカ英語で上品じゃないでしょboo、しかもムスリムboo。彼女は(ハイチの子を指して)黒人でしょboo、ドレッドヘアだからboo。ていうかドレッドヘアだって文化なのになんでprofessionalらしくないなんて言われなきゃいけないの!” って。

ちなみにアフリカ人の国民性として彼らは底抜けの明るさを持ち、危機感を持たず、おおらかで態度も大きい。素朴で純粋で人間的にいい人が多いだとか。

彼女はそんな典型的なアフリカ人に当てはまる人でいつも明るいし、おしゃべりでうるさい。

だからさっきの言葉も満面の笑みで”あーやれやれ”的な感じで、真剣にというよりかは、そんなの当たり前の事実です、と言ったような全てを受け入れて世界をまっすぐに見ているような印象を受けた。

黒人とあまり深い話をしたことがなくて、そんな言葉が彼女の口から出てくるとは思ってなかったんだけど、その言葉を聞いて私は自分が恥ずかしくなった。

今まで何に自分はうじうじ悩んでいたのあろう。人と比べて、劣等感感じて、それでも何かを諦めることができなくて、意味もわからず必死に何かを克服しようとしていた。人生には必ず受けいけなければならないことだってたくさんあるのに。

アジア人であること、帰国子女にはなれなかったこと、モデルみたいではないこと、天才ではないこと、日本の教育を受けて育ってしまったことに対する悲しみ、お金持ちではないこと、他にもたくさん。

何を必死にそんなに過去に張り付いて、自分を恨んだり、日本を恨んだり、親を恨んだりしていたんだろう。

もちろん自分は幸せだと思う。素敵な両親がいて、教育が受けられる環境があって、留学できるだけのお金があって、友達がいて、なんでも挑戦できる誇れる自分がいて・・・

それなのにふと感じてしまう劣等感は一体なんなんだ?

私は決して彼女がかわいそうなんて思ったことない。でも彼女の言葉を聞いた時、私よりも何倍も辛い思いをしてきたに違いないと思った。(それは私の解釈の尺度で?)黒人と白人の間にある差別の歴史は決して消えないし、今も将来も決して消し去ることはできない。でも彼らはそれをしっかり受け止めて生きている。

社会的地位(status)には生まれた時から有する、もしくは本人の意思とは別に与えられる社会的地位(ascribed status)と人が自発的に能力や功績を反映させて得ることのできる社会的地位(achieved status)の二つがある。

前者は性、性的志向、家族、人種などが挙げられる。

後者は職業やお金、表彰などが挙げられる。

私たち日本人はもっとこのascribed statusを受け止めて生きていかなければならないのではないか?と思う。他人と比べて劣等感を抱きまくる日本人は私だけではないはず。

日本って単一民族国家だから(ここは物議をかましそうですが、文脈上お許しください)人種も同じ、言語も同じ、大雑把に言うと、教育も同じ、大体のバックグラウンドも同じ、考え方も同じ。

だからみんながみんな同じ土俵に立っていると錯覚を起こしちゃう。

けど細かく見てみれば家族編成も、生まれ育った環境も、所得も、考え方も全然違うはず。それなのに同じ顔をした同じ言語を話す他人を見て勝手に劣等感を抱く。あの人は可愛い、あの人は金持ち、あの人は頭がいい、あの人はモテる、あの人は歌が上手い、あの人は親に恵まれてる。なんで、何が違うの、こんなの不公平だ!うわあ! みたいにね。

けどさ、考えてみ?

どんなに可愛い可愛いと崇められている子でも、アメリカに来たらカテゴリーはまずアジア人として分類されるんだよ。(日本女子は外国人にモテるかもしれないけど、それはまあ別の話じゃん?)どんなにコミュ力あってモテる人でも英語話さなかったら同じ土俵に入れないし。って言うか、まずその人もアジア人カテゴリー入りされるよ。とにかくどんな素晴らしい才能があろうと最初の印象は”アジア人”

アメリカではそう言う認識になる。

恋バナとか好きなアーティストの話をするときも基本的に”何人?白人?黒人?アジア人?ヒスパニック?”って言う質問は必ずはじめの方に出てくる話題だし。

人種って何をするにも考えるにもはじめに考えなければならない大事な要素なんだよね。

いろんな人種が蠢くアメリカ。人種、家柄、宗教、性的志向など生まれ持った変えることのできない地位を有して生きていくひとびと。決して一つの測りじゃ比べることのできない様々な要素ががんじがらめになって存在している。だからこそアメリカにいる人は人と自分を比べている暇なんてないし、運命を受け入れて前向きに生きてるんだろうと思う。

アメリカってみんな他人を気にしないし、私自身すごく気が楽。自分は何者かって理解して生きてる。アイデンティティが確立してて、個性を尊重する。

その根底にはascribed statusをしっかりと受け入れて生きる強さがあるんだね。

そんな風に考えるようになってから、私はなんて小さな小山で劣等感を感じながらくよくよ悩んでたんだろう、と自分が小さく感じた。他人と比べて、自分を恨んだり、日本を恨んだり、親を恨んだり。変えられないものは変わらんし、それで悩むことになんの意味もない。no point。

て言うかこんな小さな劣等感とか悩みとか全く比べ物にならないくらいに悲しくて、理不尽な世の中が存在しているののに。それを受けいれて生活してる人がたくさんいるのに。

アメリカと日本は全く別物だけど、もう少し視野を広げて世界を生きてみようよ!劣等感ばかりの私だったけどそんな力強く生きるアメリカ人や移民の人たちを見て、自分らしく生きようって思えたのよねー。

やっぱり悩んでる時って、視野が狭まりがちで近視眼的になってしまうんだけど一歩引いて巨視眼的に考えれば大したことないことだったりする。

でもそう言う見方に変えることってなかなか難しい。だから私の友達の生き方や考え方を知ってもらって少しでも身近にこの考えを受け入れてもらえたらなって思う。

どうしたら幸せになるかとか、どうしたら明るくなれるかとか、そんなノウハウ本は腐るほど巷に出回ってるから結局結論は陳腐な言葉になってしまうのだけど大事なことっていかに自分でその言葉たちが本物かどうか自分で経験を通して実感することだと思うの。

本を読んだり、インターネットで検索したり、映画見たり、旅行したり、友達を世界中に作ったり、とにかく知識だけを蓄積していくんじゃなくて、経験値を蓄積して、それと照らし合わせるように人々の言う言葉を自分のものにしていけばいいと思う。

あれ。なんか話が脱線してる?

とりあえず劣等感は抱くな。日本人同士で小競り合いするのはやめよう。ascribed statusを受け入れて他人と自分は違うことを受け入れよう。そして悩みを克服したければacheived statusを手に入れるために頑張れ。近視眼を捨てて巨視眼を持とう。経験しよう。世間で言われるごもっともな言葉たちを知識としてではなく自分のものにしてしまおう。そのために経験しよう。

最後に、経験の少ないこのガキを許してあげる大きな心を持とう。

偉そうなこと言っちゃったけどアメリカ生活を通して見えてきた”何か”を今後もどんどん大きく価値あるものにしていくために頑張ります。

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