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渡航前情報
name TATSUYA
Born 1988(当時23歳)
time 2012/3〜2013/11
country/city Canada/Toronto
work イベントアシスタント
TOEIC -
準備した合計金額 120万円
航空機代 15万円(往復・オープン)
海外保険代 15万円(一年間)
英会話学校 20万円
ホームステイ代 8万円(一ヶ月)
資金 15万円

海外の音楽カルチャーに浸かるため、まずはカナダに渡航

海外の音楽カルチャーに浸かるため、まずはカナダに渡航

海外渡航期間はカナダに8ヶ月。ニューヨークに2週間。ロンドンに1ヶ月。

ざっくりとした内訳は、4ヶ月をESL学生。2ヶ月を旅行。2ヶ月をイベントの立ち上げに費やしました。

当初の目的は「海外の音楽カルチャーに浸かる事」「英語をしゃべれるようになる事」という2つだけ。

そもそもリーマンショックの影響で凍り付いた新卒雇用を勝ち取っておきながら、半年でドロップアウト。

もはや英語の習得程度で何かを変えたいなどと思っておらず、「せっかくはみ出したし、面白い事したいなー」なんて気楽に考えていました。

そのため、語学学校も日本人の在籍率やカリキュラム内容を度外視し、「面白そうな人間が多い所」を目的に探しました。その結果、トロントで一番学生数が多く、人種も多様な「iLac」に入学しました。

実際、カナダではワーホリビザを使わなかったため、仕事には就きませんでした。

私は若干多めに資金を持っていきましたので困る事はなかったです。

内訳は学費に10万、生活も月10万ほど、ニューヨーク・ロンドンに25万という所でしょうか。まあ、大体100万ほどの支出でした。収入はイベントの実績・人脈・ビジネスイングリッシュスクールのディプロマですね。

まさかの学生ビザ支給ミス

カナダではイベントの運営補助やDJ以外では大して仕事をしていません。私は学生ビザで入国し、英語学習が終わってからワーホリに切り替えるつもりでした。

ですが、入国時に税関のミスで学生ビザが降りず、正式にビザが手元に来たのは2ヶ月後でした。

幸か不幸か、そのおかげで学生ビザ6ヶ月分の発給も入国後2ヶ月経った後になったので、8ヶ月間の滞在がワーホリがなくとも可能になりました。

その気になれば1年8ヶ月は滞在できる状況でした。

気楽な語学学校での生活が日常英語習得とDJになるきっかけに

iLacで生活を始めてほどなく、学校近くのカフェの店員が日本人DJを探していると話しかけてきました。

「へぇーいいじゃん!俺トラックメーカーやってたし、音楽イベント好きだからやるなら呼んでよー。」

みたいなことを言ったのですが「音楽やってたならDJ出来るな!?DJやらないか?」と誘われ、留学生の交流イベント「NO BORDERS」でDJをする事になりました。

イベントはそこそこに人を集め、運営にも関わる形だったので自然と英語を使わざるを得ない場面も多く、日常英会話は結構早く身に付きました。

ただ、問題は僕自身は日本でしていたのはトラックメーカーとバンドであり、DJに関しては音楽の知識と多少のイベントのノウハウ、ちょっとしか機材の使い方しかわからないという、日本のクラブにおいては素人同然の人間でした。

それでも、自分で言うのもなんですが、かなり人材として重宝されていました。

理由は簡単で、単純に人材不足です。カナダでは、日本人ワーホリメーカーは1年で7000人ほどしかいません。

私みたいな音楽オタクなんて、数えるほどしかいないのでした。

音楽イベント・カルチャーを求めニューヨーク・ロンドン等へ

「NO BORDER」は正直、私がDJする位ですから、海外らしい音楽やカルチャーみたいな事とはなかなか無縁なパーティでした。

当初の目的である「海外の音楽カルチャーに浸かる事」とはだいぶ離れてしまいました。トロントでは音楽イベントやアート等もあるにはあったのですが、東京にも比べて盛んとは言えず、完全に欲求不満に陥っていました。

そこで、目的を達成すべくニューヨークとロンドンへ移動。どっぷり音楽や海外ならではのカルチャーに浸かる事が出来ました。同時期に、トロントでも「creator’s lounge」の立ち上げに参加。

この団体はカナダと日本のアーティとの文化交流、相互発信を目的としていたため、運営はNO BORDERSよりもかなり大変でしたが経験として非常に身のある物になりました。

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TATSUYA KUSABA
TATSUYA KUSABA
クラフトビールの輸入会社を経営中。下記サイトから購入も可能です。 BCBBeerTrading