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ボスニア・ヘルチェコビナの首都サラエボ旅行-サラエボにある歴史博物館にて-

ボスニア・ヘルチェコビナの首都サラエボ旅行-サラエボにある歴史博物館にて―

「うわあー怖いよ」と一人ごとを言いながら階段を昇り、中に入ると、人が立っており非常にびっくりした。

ボスニア・ヘルチェコビナの首都サラエボの歴史博物館に行ったときのことだ。

サラエボの11月の空はあまり太陽が出ないようで暗い。博物館自体も内戦のことを扱っている暗い内容で建物自体どんよりしているようだ。

こんな時に見に来る人なんて、誰もいないなと思っていたから、人がいて非常にビックリした。ムスリムの女性のようで頭巾を被っていた。目鼻立ちのはっきりした人で、人形かと思ってしまう位きれいだった。写真をとりながら、展示物を熱心に見ていた。

内戦時、被害を受けたのは、主にムスリム系住民であるし、熱心に見るのは当然だろう。

展示は、当時の新聞や写真、そしてその時の部屋や生活用具が展示されていた。

私は書いてある説明も言葉が分からず、なんとなく通り過ぎるように見ていた。

ショウケースの中に血の付いたような、青い縞のセーターが置かれていた。その後ろに男の子の写真があった。

この子は亡くなったのだろう。

ボスニアヘルチェゴミナを旅行しようと決めた後、色々な本を読んだ。その中で、内戦当時、アメリカのPR会社が、一方的にセルビア人が悪く、ボスニアが一方的に被害を受けているように演出し、世界へ発信していたという本を読んだ。実際、そうだったかも知れないし、そうで無かったかもしれない。

しかし、そのような事など、どうでもいい。誰が悪いという問題ではない。あるのは、たくさんの命が犠牲になった事実なのだ。

サラエボのメインストリートはスナイパー通りという、えらく物騒な名前である。セルビア兵が動くもの全て撃ったという通りだ。

何故、セルビア人は子どもを打てたのだろうか。子どもを持っている人もいただろう。

撃たれた人は不幸だが、撃った人も不幸だ。

そのような事を考え、サラエボの歴史博物館を後にした。

宿に帰り、十二人部屋の二段ベットの上で寝た。私以外にその部屋に泊まっている人はおらず、寂しかった。チェックインした時、上の段の方が安全かなあと、上の段に決めたが私一人だったら下の段にしておけば良かったとトイレに行く度に後悔した。

しかも生理中だったので、夜中何回もトイレに行くことになった。しかし暗闇の中、梯子を降りながら、これはえらく平和な悩みだと思った。

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KOSHINO
39歳で仕事を辞め、だいたい三か月ほどバックパッカーでアジア、ヨーロッパを巡る。帰国後、再就職し、仕事のシフトを調節しながらアジアを旅している。