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ハワイプランテーションビレッジでハワイと移民の歴史を学ぶ

手書きの日本語で書かれたパーフレット

ホノルルに行った時、ハワイプランテーションビレッジに訪れた。
(ハワイの砂糖キビ産業の全盛期の頃にプランテーション内で働いていた移民たちの生活様式を展示した歴史的資料施設)

以前から、海を渡った日本人移民に興味があったからだ。

かつてハワイ経済を支えていた精糖産業、それを復元した屋外博物館がホノルルの東側、ワイパブという町にあった。

バスの運転手さんが、降ろしてくれた場所は目的地とは別の停留所だった。GoogleマップはWI-FIがなく、使えない。とりあえず近くにあった公民館のような場所で聞いた。

聞いたとおりに行ってみたが、途中でどっちに行っていいか分からなくなった。そこに犬を散歩している若い人がいたので聞いてみた。きっとこの人知らないだろうなあ、と思ってダメ元で聞いて見たが、丁寧に説明してくれた。

そして言われた道を走った。なぜかと言うと、グーグルマップでは閉館時間が14時になっていて、バスを降りたときは13時50分くらいだったからだ。

もし、そこが開いていなければ、私は何のために、1時間以上バスに揺られてきたか分からない、と落ち込みながらも走った。

言われた通りの道を行くと、大きな広場に色々な家が建っているのが見えた。

恐らくここだろう。

しかし、閉まっていたらどうしようとは思ったが、駐車場は開いているようだし、閉館時間でも、どうしても見たいと強く訴えたら見られるんじゃあないかと中に入った。

入ってみると、田舎の役所がやっている土産物屋のような事務所があった。国を聞かれて、日本人だというと、日本人ガイドは今いないと言われた。

しかし、見学する分には構わないと言われ、館内貸出用の日本語で説明が書かれてあるファイルを渡してくれた。閉館まで1時間あるという。私はホッとして外に出て村を見て回った。

人がいなくて閑散としていた場所だった

中国からの移民の家

最初は中国からの移民の家だった。一月三ドルの賃金で、名前ではなく、番号で管理されていたというようなことが書いてあった。

恐らく中国系と思われるガイドの人がいて、子供連れの家族を案内してた。

英語のガイドだったので、ちょっとだけ付いて行ったが、言葉が分からず辛かったので、一人で回った。

ポルトガル人、プエルトリコ人の家があり、その後日本人の家、沖縄人の家があった。

ポルトガル人の家

日本人の家

以前読んだ本によると、ハワイへの移民が始まった頃、沖縄は日本に併合されて間もない頃であり、日本の中の沖縄県ではなく、日本と沖縄は別の国のようであり、多少差別もあったようだ。

近くには、豆腐屋の建物があったり、公衆浴場、床屋もあった。

床屋

プエルトリコ人も豆腐を買いにきたりポルトガル人が公衆浴場に入りに来ていたのか分からない。しかし白人が農場の監督など勤めていて、アジア人は給料も安かったという。

ピラミッドでいうと、トップが雇い主の白人で、移民の中でも、白人のポルトガル人は上の方、アジア人は底辺の方だった。

だから底辺にいる日本人はストライキなどを起こして生活を改善していったという。

ここは再現しているから、プエルトリコ人の隣に日本人の家があるが、本来ならもっと広い土地の中で、それぞれの国の人たちが集まって暮らしていたのだろう。

しかし、ガイドさんに「Japanese and other country people friendly?」と聞くと「Yes」と答えた。「うそーーー」思ったがきっと説明が面倒くさかったのだろう。

食料品店、診療所なども復元され、韓国の家、フィリピンの家もありその国特有の調度品が置かれていた。

しかし、どれも古かったし、埃がかぶっている所もあった。中心地から結構離れているし、あまりお客さんが来てないようにも見えた。

現在のハワイ

庭を整備している中年のおじさんが、復元した神社の石段に暇そうに座っていた。

その人は、花を一つくれた。花の名前を教えてくれたが、とても複雑な発音で覚えられなかった。しかしとても香りのいい花だった。

アジア系の顔をしているし、神社にいるから日系人なのかなと思ったら、中国系だという。中国系と日系はハワイではどっちが多いのかと聞いたら、分からない、ミックスだと言われた。娘は二人いるが、一人は韓国系と日系の旦那だし、もう一人は白人となんとか系の旦那だと言う。つまりはみんなミックスしているのだという。

昔は国ごとに別れて暮らしていたが、現在では関係なく結婚し生活しているハワイっていい国だと思った。

過去のハワイを覗くことが出来るこのプランテーションビレッジは貴重な場所だ。

もうちょっときれいにして、あんなにいる日本人観光客を呼び込む何があればいいなとも思うけど。

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KOSHINO
39歳で仕事を辞め、だいたい三か月ほどバックパッカーでアジア、ヨーロッパを巡る。帰国後、再就職し、仕事のシフトを調節しながらアジアを旅している。