ミャンマーの語学力のすごさ
ミャンマーって長いこと鎖国されていた。今では緩和されているが、少し前まで外国人が入れる所は限られていた。だから、一体どのような国なのか興味があった。
ミャンマーというと日本では軍事政権ということばかりが強調されており、一体人々はどのような生活をしているのだと疑問に思っていたが、行ってみると、エネルギッシュに生活している人々がいるぎらぎらした東南アジアの街であった。
マンダレー到着後、世界三大仏教遺跡の一つである、バカンに行った。
そこは、ものすごく観光地化していた。飛行機が発着するヤンゴンやマンダレーはあまり外国人が歩いておらず、日本人も見なかったが、バカンは外国人も日本人もいっぱいであった。
どこが、鎖国していたんだ。軍事政権って何なのだ?と思った。
観光地なので英語や日本語ガイドのミャンマーの人達もいっぱいいた。ヤンゴンでは駅は何処と聞きたくて、さかんにステーションを連発しても通じなかったが、バカンでは土産物屋も物売りの子供も英語を話す。
寺院を周るためにレンタサイクルを借りた。それは日本のmiyata自転車であった。
子供たちの英語力
同じくmiyata自転車を乗っていた外国人が自転車の鍵が閉まらなくて困っているのを見て、「よっしゃー助けてあげよう」と近づこうとしたら、物売りの少年が「Are you OK」と声をかけ、さっさと鍵を閉めてしまった。そしてぺらぺらと英語を喋っていた。
バカンで見かける物売りの少年たちは、とても逞しかった。私が日の入りが良く見える寺院を探していたが、分からず、日が暮れてしまいそうだった。そばに通りかかった絵葉書売りの少年に地図をみせつつ声をかけると、「come」といい連れていってくれた。
寺院の周りの道は、舗装されておらず、ほとんど砂地の道であり絵葉書売りの少年は、慣れていてえらくスピードを上げていたが、私はその後ろをよろよろしながら付いて行った。
寺院に着き、絵葉書は売りつけられたが、それにしても、えらい助かった。
日本語でありがとうと声をかけありがとうと返された。
こうやって、ここの人達は色んな言葉を話せるようになっていくのだと、実感した。
ただ、毎日学校に通い勉強をしていく日本の少年とどちらが幸せかは分からない。
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