インドネシア語とマレー語の関係とは?
「米はナシ、魚はイカン、菓子はクエ、キラット来たら雷だ」という具合に、むかし日本の兵隊さんがインドネシア語を覚えたといいます(カタカナがインドネシア語)。
さて、今回はインドネシア語の歴史についてお話しようと思います。
その際にポイントになってくるのが、インドネシアとマレーシアの関係です。
インドネシア語はインドネシアからマレーシアに至る一帯で、古くから商取引上の公用語として広く使われていたマレー語をベースにした言語です。
インドネシア語とマレー語とは少し言葉の使いまわしが違うくらいの、いわば共通の言語です。
ちなみに、インドネシアの人はよくマレーシアのテレビを見ていました。
1945年にインドネシアが独立した際に、初代スカルノ大統領は国語を定めるにあたり、インドネシアの中でマジョリティのジャワ人が使うジャワ語を採用せずに、あえてスマトラ島北部の民族の一言語でマイノリティのマレー語を国語としました。
当時のジャワ島にはインドのカースト制度のような身分階級制度があり、ジャワ語にも上下関係による複雑な用法がありました。
スカルノ大統領は多民族をひとつに治めていくのと、文盲を克服するために、用法が比較的簡単なマレー語を選んだそうです。
このように世の中の大勢に流されなかった、スカルノ大統領の英断は、彼が戦後アジアでの偉大な政治家の一人とされる所以であり、いまだにインドネシアの人たちに慕われている理由でもあります。
マレー語は簡単で便利な言葉だったのですが、文字がありません。
ですから、書き言葉としてはインドネシアを長く統治したオランダ人が残していった、アルファベットを使用しています。
話すにあたって、インドネシア語は中国語やタイ語のような難しいイントネーションがなく、アルファベットをローマ字読みすればどうにかなりますので、日本人にとっても覚えやすい言語です。
ただし、書き言葉やスピーチなどでの公式の場での話し言葉は、日本語でいえば格式を持ったいわゆるそうろう調になり、難しくなります。
言語の普及率について
教育やテレビの普及でインドネシア語もかなり使われてきています。
しかし、ジャワ島の田舎の方へ行くといまだにインドネシア語をよく話せない人がいます。
駐在する日本人が雇う女中たちは中部ジャワの田舎から出てきている人が多いです。
ですが、若い女中の中にはインドネシア語が分からない人がいて、当然日本人の生活習慣も分かりません。
ですから、そんな女中を雇ってしまうと、いろいろな珍事が起こります。
むしろジャワ島以外の島々の方がインドネシア語の普及率が高いという話を聞いたことがあります。
私は飢え死にしない程度にインドネシア語が使えますが、インドネシアの人は私の拙いインドネシア語を真剣に聞いて理解してくれ、表現の間違えがあるとやさしく直してくれました。
シンガポールとマレーシアでは兄弟語のマレー語が公共の場で使用されており、空港でもフライトなどの案内をマレー語でアナウンスしているので、インドネシア語を知っていて、重宝しました。
なによりも役に立ったのは、シンガポールの街中で急にお腹が痛くなり、公衆便所に駆け込んだときのことです。
入ったトイレに紙がなく、まだその頃は水による処理に自信を持っていなかったので、入口に座っていたマレー系のおばさんに英語で紙を要求しました。
しかし、どうも慌てていたのか英語が通じず、苦し紛れにインドネシア語で話してみたら、何とすぐ分かって、トイレットペーパーを渡してくれたのです!
最悪の事態を回避できたことに、スカルノ大統領に感謝ですね。
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