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世界一周で訪れたラオスの旅物語

ラオスの二大口コミ

ラオスと言えば、人がとても良い。のんびりしていて、いつも笑顔。

そんな話を旅の途中、西洋人の友人たちからよく聞いていた。

他の東南アジア諸国は常に慌ただしく、ひとつ買い物するだけでも相手はこちらが観光客だからと本来の数倍の値段で売りつけようとしてくるのでいちいち神経をすり減らす一方、ラオスではそんなことなくみんな穏やかだと言う。

しかしその反面、人と競争することを好まないラオス人は、その性格ゆえ経済的には他の国々よりも劣っている。

しかし、ラオスはまだまだインフラが整っておらず、町と町を結ぶ幹線道路でさえ、道はガタガタらしい。

人一倍車酔いしやすい体質の僕からすれば、この上ないバッドニュースであった・・・。

インフラ環境と魅力的な文化

インフラ環境と魅力的な文化

僕はベトナム北部のサパという町からバスに乗り、ラオスのルアンパバーンへやってきた。

国境までのベトナムの道は基本的にはよく整備されていて、バスは超満車だったけど乗り心地はそれほど悪くなかった。

しかし国境を超えラオスに入った瞬間、道はひどくなり、乗り換えたミニバンは縦揺れ横揺れのオンパレード。

冗談なんかじゃなくおしりが浮くほどの揺れが何時間も続く。

窓からは道路工事の様子が数十kmに渡り続いているのが見えていて、もう少し早くやっておいて欲しかったと、想像以上の揺れに気が滅入ってしまった。

もし酔い止めを飲んでいなければ、僕の吐瀉物がミニバンの中で舞っていたことであろう。

ルアンパバーンに着いた夜に最初にしたことは、ラオス語での簡単な挨拶を覚える事だった。

翌朝、町に出てブラブラしているとたくさんの現地人と出逢った。

ただすれ違う人、目が合うとニコッとしてくれる人、物珍しい目つきでこちらを見てくる子どもたち。

そのどのタイプの人にも当てはまるのが、「サバイディー(こんにちは)」と手を合わせて言うと、ほぼ100%同じように返事が返ってくる。

この文化はすごく魅力的だと思った。

挨拶に挨拶で返す。この一見当たり前の様な出来事が、これまで当たり前で無かったことに気付かされた。

友人、家族、職場の人に挨拶をするのは当たり前だとは思うが、ただ道ですれ違った人に対してまであんなにも気持ちの良い挨拶を返してくれる彼らに感動すら覚えた。

ほんの小さな出来事かもしれない。でもこれが「ラオスは人が良い」と言われる所以だろう。

あの体験は現地でしか出来ない。こらからラオスへ行く人は是非試してみてほしい。

ただ相手の目を見て、両手を合わせて「サバイディー」。これだけだ。

世界遺産ルアンパバーン

ルアンパバーン

ラオスの主要観光地と言えば、世界遺産ルアンパバーン、ヴァンヴィエン、ヴィエンチャンだろう。

これら3つの町はそれぞれアクセスが良く、ラオスは北か南からこれら3つの町を通って次の国へ入れるようになっている。

観光スポットの事はあまりよくわからないので、ここでは僕が各町で何をしていたかを記すので、これからラオス行きを検討している人の参考に少しでもなれば嬉しい。

ルアンパバーンと言えば、歴史的建造物が多いことからその町が世界遺産に指定されている。

また、最近旅人の間で人気を博している「象使い免許」に関しては、効力を発揮しないという事を別記事にて述べたのは、わたくしドリームブレイカーのShokiです(笑)

この小さな町には、寄付で成り立つ小さな図書館がある。

そこにひょこっと立ち寄ってみたら、たまたま仏教の修行僧と出逢った。

彼は独学で英語をよく勉強していたので、ほとんど不自由なく会話が出来る。

日本語も併せて勉強していて、教えてほしいと懇願されたので幾つか彼が望むフレーズを教えてあげた。

仲良くなった印に、一緒に近くの滝へ遊びに行くことになったは良かったのだけど、何と言っても彼は修行中の身なので、女性に近づき過ぎてはいけないとか色々と制約があった。

でもそれが逆に一般観光客が行かない裏スポットへ行くキッカケになったし、彼らの普通の少年としての顔が見れたのがすごく印象的だった。

彼とは最近も時々LINEで連絡を取り合う仲で、僕にいつも気を付けてと言ってくれる。自分の夢も東南アジアを旅することなのに。

今度大事な試験が控えているらしい。その内容に関して僕はよくわからないけど、頑張ってほしいと思う。

そんなかわいい弟のような、しっかりした兄のような人物と出逢ったのが世界遺産ルアンパバーン。

ヴァンヴィエン

ヴァンヴィエン

ヴァンヴィエンは、良い安宿を見つけられたし、気の合う旅人との出逢いもあってなにかと充実していた。

町の雰囲気自体ものんびりしていて、宿のロビーにはベッドが並べられ、レストランの席でも寝転がれるようになっていたりと、いつでもどこでもゴロゴロ出来る状態が維持されていて、俗にいう「沈没」に適した町であった。

ただし深夜0時を過ぎるとこの町は変貌する。

町のメインロードにたくさんのレディボーイが狩りに出てくるからだ。

しかもクオリティはなかなかのもので、普通に町を歩いていると「あ、あの子かわいい!」と言いかねないレベル(一部を除く)。

それが良い悪いは別にして、それはそれは面白い光景が見られる。

英語もちゃんと勉強していて、人柄も良い。

僕の友人の一人は彼女たちの中の一人と一夜を共にしたそうですよ(笑)

そんなエキセントリックでレイジーな町がヴァンヴィエン。

ヴィエンチャン

ヴィエンチャン

ヴィエンチャンは一応首都だし、都会を好まない僕は正直タイへ抜ける前に少しだけ寄ってみるだけのつもりで訪れた。

全然期待していなかった・・・それが逆に良かったのかもしれない。

そこは思っていたよりも都会じゃなくて、どちらかと言えば好きな雰囲気の街だった。

街の隣にはメコン川が流れていて、それがタイとの国境になっている。

その川沿いに立ち並ぶナイトマーケット。

そこで日本人路上パフォーマーエリアを開催した。

わらしべ長者、ヘアカット、水晶、ウクレレ、オカリナ。

変な集団がいきなりナイトマーケットを盛り上げる!!

水晶の人が言ってたけど、ここはそこそこ儲かるそうですよ!!

路上って楽しい。そう改めて思わせてくれたのがヴィエンチャン。

秘境サイソンブンへ

秘境サイソンブンへ

外務省の海外安全ホームページを見てみて欲しい。

僕たち世界一周旅人の中にはこれを見ながら今後のルートを考える人も少なくない。

このページでは世界地図に4段階の色が付けられており、その国や地域の危険度を知る事が出来る。

白であれば安全、黄色なら「十分注意してください」、赤なら「退避を勧告します」というもの。

ラオスの地図を見て頂くと、国土のほとんどが黄色の「十分注意して下さい」になっているが、一箇所だけオレンジの「渡航の是非を検討してください」になっているのがお判り頂けると思う。(2015年6月現在)

このオレンジの部分が何を隠そう、2015年ラオス政府が「サイソンブン観光年」とキャンペーンを打ち、外国人が初めて立ち入る事が出来るようになった地「サイソンブン」である。

旅の途中でそんな話を聞いたらもう行くしかないでしょ?(笑)

ちなみにサイソンブンがオレンジの理由は、近年まで反政府組織がバスを襲撃したりと危険だった為だそうだが、今はもういないという話もある。

インターネットでいくら探しても、なかなか明確な行き方や、宿等の情報は見つけられなかった。

まずサイソンブンは町名ではなく県名であるという事が判明し、目的地がますますわからなくなりながらも、深夜遅くまで当時同じ宿にいた旅人仲間たちと力を合わせて色んなことを想定しながら色々調べたりした作戦会議の夜も全く良い想い出だ。

正直のところ恐怖はあったし、万一に備えて貴重品は全てヴァンヴィエンの宿。

同じ宿に残る旅人仲間には「明日の昼までには戻る」と言い残し、家族の連絡先まで教えて行くというちょっと中二病的なワクワク感もあった。

目的地はサイソンブン県都アヌヴォンにあるゲストハウス。

紆余曲折あり、最終的にはヴィエンチャンから直通バスが出ているということがわかり「明日サイソンブン行こう!」と言い始めてから到達したのは一週間ほど後の事だった。

このあたりのエピソードは、世界一周ブログにて全5記事で詳しく記してあるので、宜しければこちらをご覧ください。

アヌヴォンの人々は、外国人を見るのが初めてという人も多く、当然ながら英語はほとんど伝わらない。

町を歩いているだけで僕たちに視線が集まる。まるで有名人。もしくは不審者(笑)

小さなマーケットに並んでいる商品も、他の町とは少し違う。一般人が生きた鴨を購入して行く。

意外なことに夜のお店も幾つかあり、そのクオリティには驚いた。キャバクラの様な店だったのだが、入ってしばらくするまでそうだと気が付かなかったからだ。

ラオス最高峰ピア山の頂上を見つめ、巨大な洞窟の闇に吸い込まれそうになった。

事前に危険な地域という情報があったので、住民はどんな人かという心配があったが、そんなもの要らなかった。

みんな実にピュアで、自由で、おおらかだった。

地元の仲良くなった少女は「またね!」と言うのが辛かったのか、最後は部屋に閉じこもってしまった。

言葉は通じていない。

言葉が通じないからこそ通じるものがあった。

あの時の事を、今でも僕は時々思い出す。

しっかりしなきゃなって、小さな女の子に教わった。

サイソンブンに来れて、いやラオスに来れて本当に良かったと思えた瞬間でもあった・・・。

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2015年2月8日(日)より世界一周の旅をスタート。 ブログも更新しています。