シンガポールで学校に通う息子
シンガポールで暮らして1年。
多民族国家で生活していると、教育観について考える機会が本当に増えました。
1年前、息子がインターナショナルスクールに入学した際、私たちはかなり下調べをしました。
シンガポールという小さな国でも、学校のレベルや環境、校風などで様々な選択肢が存在しました。
英語で教育を受けることが初体験のため、スポーツが大好きだった息子が学校生活に入りやすいように、スポーツが盛んな学校を選びました。
選択に納得はしたものの、実際にどのような教育がクラスで行われていくのか、それに対して息子はどう感じていくのか、実は私も主人にも皆検討がつきませんでした。
それもそのはず。
私も主人も体験したことがない「新しい世界」を彼は体験することになったからです。
1年経って英語の授業がほぼ理解できるようになり、継続的に楽しく学校に通う息子を見て、私たちの選択は彼にとって良いものだったと今は思っています。
教育環境において皆が同じである必要はない
そして、シンガポールで暮らしていると、日本人は本当に「相違に対する恐怖感に過度に敏感」ということを実感します。
それはなぜなんだろうと日々振り返ってみると、教育環境において「皆が同じ」が推奨されるからではないかと感じています。
同じ言葉を話し、同じ思考を共有し、同じ答えに納得する。
休み時間には同じテレビ番組について話し、同じギャグで笑う。
同じでないとものすごく不安を増長することになります。
息子がインターナショナルスクールに入学したばかりの頃、こんなことがありました。
質問の文章を教えて「クラスメイトの好きなテレビ番組を教えてもらってきて」とリサーチをさせました。
クラスメイトが見ているテレビ番組を息子も見るようにすれば、子供同士の話題が増え、より意思疎通が図れると思ったからです。
しかし、息子がメモで集めてきたテレビ番組は1つも同じものがありませんでした。
みんなバラバラだったのです。
そして、質問に答えてくれた彼らは自分の見ているテレビより、息子が以前見ていた日本でしか見れないテレビ番組のことを知りたがったそうです。
違うってことはこんなにも「当たり前」だったのか。
私は何を恐れていたのかと、改めて考えさせられるきっかけになりました。
「そのままでいい」は「新たな語学を覚える必要はない」なのか
また、日本人って外国語教育(特に英語)を日本語で論じるのが本当に好きなんだというのも感じます。
日本人は日本語をしっかり学んだほうがいい、積極的に英語を学ぶ必要はないという意見が日本語でインターネット上を飛び交っています。
日本語でのネット配信というのは日本語を使う側からすると思った以上に情報量が豊富なことがデータからもわかっています。
(参考:インターネットにおける言語の使用 https://ja.wikipedia.org/wiki/インターネットにおける言語の使用)
つまり、このままの世界でもいいじゃない?ということですね。
「そのままでいい」という甘い囁きは「そこにとどまってほしい」という行動の抑制でもあります。
甘い囁きに溺れると足をすくわれるでしょう。
そして、自分の強い意志でその世界にとどまる場合は「自分の意志で」というのを明確にしたほうがいいです。
その強い意志はより輝かしい魅力になり、色々な言葉を話す人が近づいてくれるでしょう。。
うう、結局共通言語はやったほうがいいって結論になりました。
そのままでいるためには「自分の意志を自分で伝える手段」は多ければ多いほどいいってことですね。
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