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インドネシアからの赤道通過体験

赤道通過体験

今や海外へ旅行なり仕事で出張することは珍しいことではなくなりましたが、結構海外に行っている人でも、赤道を越えて南半球まで行ったことのある人となるとそれほど多くはないようです。

インドネシアの首都ジャカルタは南半球にあるので必然的に赤道を越えていくことになり、インドネシアのフラッグキャリア(国を代表する航空会社)であるガルーダインドネシア航空に乗って行くと、「赤道通過証」なるステッカーを記念にくれたことがありました。

太平洋戦争中日本軍のパイロットがよく「赤道は本当に赤かった」と言ったそうで私も冗談で言うことがあるのですが、たまに本気にする人がいると楽しくなります。

この赤道を踏んで来た、またいで来たと言うと、今度はなかなか信じてもらえません。

確かに地球上で赤道が走っているところの大部分が海で、地上を横切っているところは南米とアフリカ、インドネシアしかなく、さらに人が行けるところは限られてきますからやむを得ません。

私が行ったのは、西カリマンタン(ボルネオ)のポンティアナックという、河口に開けた港町から北へ半時間ほどいったところの「赤道」でした。

灯台のようなモニュメントがあり、屋根が東西方向に天文台の窓のように開いていて、春分の日と秋分の日には1日じゅうその窓から陽がまっすぐに差し込む構造になっていました。

シンカワン・白砂青松の海岸

シンカワン・白砂青松の海岸

その赤道のモニュメントからさらに北へ車で3時間ほどの、シンカワンという町まで行ったときのことです。

途中の道沿いの屋台のような店がならんでいるところで休憩したときに、案内してくれた華僑のおじさんに精がつくといって、店の前のテーブルの皿に山盛りになっていたピンポン玉のようなものをすすめるので、お付き合いで食べました。

食べたあとでわかったのですがそれは海亀の卵をゆでたもので、白味のところがゼリー状のちょっと歯ごたえのあるものでした。

こんなの食べちゃって良いのかなぁ、と思ったときは後の祭りでしたが。

一休みしたところの近くにちょうど白砂青松の海岸があり、海亀とともに浦島太郎が出てきそうだなぁと連想したのですが、このカリマンタンの西海岸からベトナムの東海岸にいたる南シナ海の沿岸には、今も浦島太郎物語によく似た言い伝えがあると聞きました。

熱帯の透き通った海に潜ると、珊瑚礁に囲まれたきらきら輝く海中にカラフルで色鮮やかな魚たちが群れていて、まるで人を歓迎するかのようにまとわりついて泳いでいるのを見ると、この辺に竜宮城があっても不思議ではないと思います。

そんな海に魅せられてダイビングのライセンスを取る日本人がたくさんいます。

この案内をしてくれた華僑のおじさんは、私が勤務していた合弁会社の製品を取扱っている会社の社長だったのですが、見るからに海千山千のおじさんで私にいろいろサイドビジネスの誘いをするのです。

その一つは最近シンカワンでは金(きん)の露天掘りを始めており、日本人が金(かね)を出せば儲けさせてやると目を輝かせて語り掛け、その露天掘りの現場まで連れて行くのには往生しました。

いろいろ話を聞いていると、昔木材を密輸したとか泥棒を鉄砲で撃ち殺したとかあぶない話が出てきて、赤道直下の異郷の田舎町で生き抜いている彼らのしたたかさを感じました。

中華料理のうまさに驚き

中華料理のうまさに驚き

この社長に昼飯に連れて行かれたところが、山東省からきた華僑がやっているという半分道にはみ出した露天のような中華料理店で、暑いところにハエがブンブン飛んでいるのには食欲が減退してしまいました。

出てきた料理は日本の茶碗くらいの大きさのお碗のひとつに中華麺、もうひとつのお碗にはスープにワンタンとエビ、野菜などが盛られ、お付き合い半分と飢え死にしないためにと箸をつけたのですが、これが絶品のうまさで思わず目をむいて「エナック(うまい)」と叫んでしまい、出て来た料理の写真まで撮ってしまいました。

その海千山千社長は、どうだと言わんばかりににこにこしていたのでした。