私とモントリオール
今日からカナダはモントリオールから現地情報・現地での生活模様を発信させていただくことになりましたakaneです。
自己紹介も兼ねて、まずは「私がモントリオールという街に出会い、就労ビザを取得し起業をするまでの経験」をご紹介します。
洋画や洋楽が大好きだったけれど、特に英語が得意科目だったわけではない中学・高校時代。
でもひょんなことから大学は英文科に進み、昔から漠然と抱いていた「海外で生活したい」という夢の実現に少し近づく。
卒業後の留学も考えたけれど、海外へ行くなら親に頼らず自分のお金で行きたかったのでまずは就職することに。
日本で仕事をしながら貯金し、さらには「生活するならどの国・都市で生活をしたいか」を確認するためにも下見を兼ねて年に2回海外旅行を決行。
イギリス英語・イギリス文学が大好きな私、イギリス旅行をしてみて「ここに住みたい!」と強く思うも、当時は1ポンド=200円強の世界。
当時年間400人という狭き門だったイギリスのワーホリに参加できたとしても、持ち金がスタートの時点で半額になる。更には、私のワーホリの目的は“日本で培った経験を基にオフィスワークをする”だったので、あまり門戸の開けていないイギリスに行くのはどうかと、一旦イギリスへの思いを保留にする。
その翌年、海外旅行大好きな私の祖父母のお気に入りの国カナダへついに私も足を踏み入れることに。行ったことはなくても、祖父母が買ってきてくれたカナダの写真集に魅了されたのが10歳の時。
カナダはイギリスの次に気になっていた国だった。日本人の多い所は好まないけれど、オフィスワークができる都市としてトロントでの生活を念頭に入れつつ旅行をしている中で、私の心を鷲づかみにした街を発見!!
それが現在生活の拠点となっている街「モントリオール」。
ヨーロッパ調の建物にオシャレな街並み、モデルさんのような体型や顔立ちの人も多く、そしてとにかくフレンドリー。
他の都市とは全然違う!
語学留学とワーホリ時代
2006年にカナダ旅行をし、恋したモントリオールの街。モントリオールはカナダの中でも特殊なフランス語圏の都市。
第2外国語でフランス語を専攻していたがまるで子守唄のようにしか聞こえず(笑)、授業中は寝ていた記憶しかない。
そんなフランス語とともに本当に生活していけるかどうかを見極めるためにも、ついに2007年仕事を辞めて、まずは2ヶ月の語学留学(フランス語&ビジネス英語)を決心。
・日本人とはつるまない
・日本語は話さない
この2つを決め事としていざカナダはモントリオールへ。
日本語を話さないことは簡単だったけれど、どうしても授業以外の会話はフランス語ではなく英語を使ってしまい、フランス語が全く頭に入らない&街はやっぱり大好きだけどフランス語が高い壁で、ここで事務職はできそうにないと落ち込む。
しかし、日本へ帰る飛行機の中で妹からの贈り物である1冊の本を読んで、「やっぱり挑戦してみよう!悔いのない人生を送ろう!」と思い直し、翌年ワーホリでカナダはモントリオールへ戻ってくることを決める。
旅行・語学留学を経てワーホリで3度目のモントリオールへ。
ワーホリの目標は
・現地企業に勤める
・その企業で就労ビザを出してもらいワーホリ後最低1年は働く
私がモントリオールにワーホリで到着したのが2008年6月。
モントリオールは大都市なのに日本向けの情報発信が少ない。「ここは私が!」と自己満足感満載(笑)の情報ブログを開始する。
そして、まずは就労ビザに対して保険をかけておきたいので、旅行会社の内勤に応募、すぐに採用が決まり、10月末までお仕事をする。
この保険というのは、旅行会社はツアーガイドの就労ビザ枠を持っているので、もし万が一現地企業での就職並びに就労ビザ獲得ができなかった場合に翌年ツアーガイドとして応募しようと思っていた。
その後2ヶ月は現地企業に応募しつつ、旅行をしてゆっくりし、年が明けてから仕事探しをしつつフランス語の学校へ通う。
ワーホリのビザが残り4ヶ月半となったある日、応募した企業の1社から電話連絡がある。
電話で軽く質疑応答があり、面接に来てほしいと言われるが、ワーホリの期限に気づいた人事担当者が、「permanentのポジションなので、最低でも1年は働ける人を探している。こちらから連絡して申し訳ないけど、この話はなかったことで」と言われ、”あぁ、残念…”と心の中で思いつつも、連絡をもらえたことに対し感謝の意を述べ電話を切る。
と、翌日、また人事担当者から電話があり、「ビザの期限はさておき、社長が面接を希望しているので明日弊社に来られますか?」と。
なんと!!!
フランス語の学校があったけれど、もちろんこちらの方が重要、承諾。朝一のアポとなったので、電話終了後は急いで面接のイメトレ。
当日、口頭面接は担当者とも気が合う感じでとてもよく出来、手ごたえあり。その後の筆記試験は専門的なことに関しては手こずったけど”まぁ悪くはないであろう”といった感じ。
帰宅後、人事担当者にThank you emailを送信して、後は神に祈るのみ。
更に翌日、採用の電話がかかってきて、お給料額等、条件が述べられる。
正直お給料は悪くはないがもう少し欲しい所ではあったけど、私の目標は「日本での経験を現地企業で生かすこと」であったわけで、挑戦をしにここまで来た。お給料は目をつぶれる範囲。受けないわけがない。働き様によっては試用期間後に昇給ありとのことだったし、その場で承諾。
それが金曜日だったため、翌月曜日から仕事開始となりました。
就労ビザ取得まで
働き始めてすぐにリーダーポジションの方が退職され、そちらに就くことに。更に、就労ビザのお願いをマネージャーにしてみたら、「どれだけ働けるか最初の1ヶ月で見せて。私がOKだと思ったら、自分から社長に話をしてみて」と。
こちらでは珍しいけれども、残業しなければならなくなったら快く引き受け、とにかく会社のために尽くす。
1ヶ月弱経った所でマネージャーに「いかがでしょうか?」と聞いてみると、OKサイン。その後すぐに社長に話をして、こちらも快くOKをいただく。
実は日本にいた時から就労ビザに関しては調べてあり、必要書類等も持っていたためすぐに準備に取り掛かる。会社にとって初めて就労ビザの手続きをするということで、自分でやることになるであろうと思っていたけれど、マネージャーがすべてやってくれました。
起業というもう1つの夢
昔から起業したいなと漠然と思っていた私。モントリオールへ来て「やりたい!」と思ったことが「着付け」と「和服レンタル」(現在は販売も行っています)。
モントリオールって、日本人は少ないのに日本の文化が大好きな人がとにかく多い!
夏の時期はドレスコードが浴衣・甚平のイベントを開催し、参加者と地元のお店で食事とおしゃべりを楽しんだり、街中を練り歩くなんてことをしています。
皆が浴衣なので注目を浴びることはもちろん、一緒に写真を撮ってほしいとあちこちでお願いされたり、昨年はミュージックビデオ撮影に飛び入り参加することになったなんてこともありました。
やはり母国の文化を好んでもらえることは嬉しいですね。
そんなこんなでカナダで3年半働き、起業もし、ケベック州のスキルドワーカークラスで個人移民、モントリオールで出会った現在の旦那様と結婚、でも日本でもう一度だけ働きたかったので単身帰国(許可してくれた旦那に感謝!)、そして再度モントリオールへ戻り、別の企業に就職、出産を経て初めての育児にあたふたな毎日の現在に至ります。
レストラン巡りが大好きなので食レポもたくさん発信していきたいと思っています!ぜひ楽しみにしていてください。
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