見えてきた旅のスタイル
2015年2月8日(日)、僕は世界一周の旅に出発した。
これまでの3ヶ月間で訪れた国は、台湾、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス。出発して3ヶ月経った今、自分の“旅のスタイル”が見えてきた。
僕はあまり観光をしない。色んな国や町に行って、すぐ近くに世界遺産や有名な観光スポットがあるのにもかかわらず行かないのだ。
出逢う人々にどこかの観光地へ行こうと誘われて断ったりする内にこう話すと、「もったいない」とか「何の為に旅してるの?」と聞かれたりすることがある...。
それには幾つか理由があって、これまで何度かそういう場所に足を運んではきたが、「これ写真で見たやつだ」と思うだけであまり新鮮味が感じられないからだ。
もちろんその道中や、現地でしか感じられない雰囲気もあるとは思うのだが、良い意味でも悪い意味でも期待を裏切られる事が滅多に無いと個人的に思う。どうしても一つの作業の様に感じてしまうのだ。
僕はウユニ塩湖にもきっと行かない
僕はヨーロッパでブランド品を買い漁ったりしないし、今や世界で最も有名な観光地の一つとなったウユニ塩湖にもきっと行かない。なぜならそこには観光客しか居ないからだ。
観光客が集まる町には、ナイトクラブや飲み屋が必ず建ち並ぶ。するとそこは何の変哲もない普通の街となる。
普通の街ほど歩いていてわくわくしない場所は無い。そこはただ利便性を追求し作られた街で、それに適応した限られた人々しか集まらないからであり、都会があまり好きになれない理由もそこにある。
僕が世界一周をする意味
では何の為に旅をしているのか?
僕の旅のテーマは【人々の暮らし】である。これ無しではその土地を訪れる意味が無いと思っている。
その国、町の人々はどんな顔でどんな仕事をしているのか。どんな事を考えているのか。難しいが政治的、歴史的背景なんかも織り交ぜつつ考えてみたりもする。
期待していない、想定していない事が起きるのが旅の醍醐味なんじゃないかなと思う。
色々な人に出会った
これらの人々は皆、僕がただその町を一人でプラプラ歩いていたり、公園のベンチに座っていただけで出逢った人々である。
レストランで食事中にも関わらずテーブルまで物乞いをしに来る少年。
インターネットも無い、自給自足の生活を送る家族。
戦争の影響で手、足、視力を失った老人たち。
息子と十数年間、生き別れになっているおばさん。
物心つく前から両親がおらずに施設で暮らす子どもたち。
難民として海外へ渡ったおじさん。
当たり前にぼったくろうとしてくる店員や国の職員。
英語は話せないのに日本語はかなり話せるバイクタクシーのドライバー。
12歳で寺へ修行に出ると決めた少年。
少数民族として生きる人々。
世界中で数百人しか話さない言語しか話せない少年。
ゲイとして生きる道を選んだ彼女たち。
外国人をほとんど見たことが無い人々。
そして、その町の一般市民...。
本当に一番深く関わりたいのは、最後の一般市民なのだが、予想以上にキャラの濃い人々と出逢った。
必ずしも良い想い出ばかりではないけれど、彼らとの関わりは圧倒的に観光地へ出向くよりも心を動かされた。
「あぁ旅に出て良かった」と。
昨年、日本は海外渡航自由化50周年を迎え、ネット上に溢れかえっている旅情報を読んでいると、僕の様なタイプの旅人は増えてきている様に思う。
現地の人々との出逢いが旅の点となり、それらが繋がり世界を一周する。
これが今、僕が思う僕の世界一周の“旅のスタイル”のイメージだ。
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