パリの同時多発テロ事件に思うこと
今年の1月にパリで起きたシャルリー・エブド襲撃テロ事件の記憶が新しい11月13日、地元の若者で賑わう11区と郊外にあるフランス国立競技場近辺で、一般人を狙った連続テロが発生しました。
死傷者は130人以上。
あれから一か月以上が経ちましたが、クリスマスシーズンの真っただ中の街は人の出も多く、以前の活気が戻ってきたように感じます。
ただ、パリで生活をしている人間からすると、その活気も「束の間の平和」のような、なんとも儚いもののように思えて仕方ありません。
街中の至る場所で辺りを守っている武装警官。
駅構内での荷物の置き忘れの「超」警戒態勢による電車の遅れなどに遭遇することは日常茶飯事です。
テロの痕跡は今でも目に見える形でしっかりと生活に刻まれています。
色々な媒体を通して今回の事件を調べていますと、フランスが抱えている移民政策がその原因の一つだということが分かりました。
政治的なことには全く疎い私ですが、これを機にパリ東部にある移民歴史館(Cité nationale de l’histoire de l’immigration)に足を運び、13日起こった事件について私なりに考えてみたいと思います。
移民歴史館の移り変わり
メトロ8番線のポルト・ドレ駅を降りると、ギリシャの神殿のような大きな建物が目につきます。
この建物こそ、移民歴史館です。
1931年の国際植民地博覧会の際、フランス人建築家アルバート・ラップラード(1883~1978)によってメイン会場として建てられました。
現在フランスの歴史建造物に指定されています。
建物のファサードを飾るのは同じくフランス出身のアルフレッド・ジャニオ(1889~1969)の巨大なパノラマ彫刻で、豊饒を寓意した「フランス」を中央に、向かって右側にアジア、左側にアフリカが表さわれています。
注文主である政府の意図ははっきりしています。
その注文とは、フランスとその植民地を一つの帝国に見立て、統一されたその輝かしい姿を全世界に示すこと。
建物の中にある高さ8メートル、横10メートルの大きなフレスコ画もファサードに表現された内容に類似しています。
1935年までは植民地博物館、1950年代後半まではフランスの海外領土のものに特化した博物館、そして1961年にアフリカ・オセアニア美術館。
時代が進むと同時に用途を変化させていった、この建物が現在の移民歴史館になったのは2007年です。
その名の通り、フランスにおける移民の2世紀に亘る歴史を扱っています。
写真や新聞・雑誌などの印刷物、映像などのコレクション。
フランスに移動してきた人の証言や彼らの生きざまを示す証拠品。
そして移民をテーマにした現代アート。
常設展は、これら3つの柱で構成されています。
さらにこれらは「スポーツ」や「宗教」、「文化」などの10個のテーマに分類されていて、移民の過去と現在を見る人に分かりやすく示しています。
現在のフランスの状況
展示された作品の中に、心動かされるものがありました。
ペトロヴィッチさんが作成したまあるい小瓶の中に入った「土」。
でも、ただの土ではありません。
政治的、経済的な理由で新しい場所に移動せざるを得ない状況におかれた人たちの忘れ形見。
出身地の証拠として、自分が育った国の土を一握り持っていくのだそうです。
最近何かと関心を引く「移民」という言葉。
フランスは2世紀以上も昔から国内に生活の安定を求めてやってくる人々をどのように受け入れるか、そしてどのように共生していくかという問題に直面していたのだな、ということが分かりました。
時代が変われば受け入れる側の状況も変わります。
移動した先が必ずしもユートピアではなく、そこでも更なる苦労が待ち受けているといる現実があるということも、移民歴史館と現在のフランスの状況は教えてくれました。
『移民問題』から考えるべき課題
その一方で、移民歴史館の常設展にはどこか物足りなさを感じました。
各セクションで展示されているのは未来への対策ではなく、現代アーティストによって近年作成された作品を除くと、21世紀初頭の過去までの漠然とした「出来事」です。
共生を強調する部分でも、移民が入ってきてフランスには多種多様な宗教、文化が存在するといった事実までしか触れられておらず、結果として現実に起こっている差別問題やテロについて、その対策についてまで掘り下げられていませんでした。
そんな状態の歴史館ですが、特別展では今ある問題点について考えてみようという学芸員側のメッセージを読み取ることができました。
2016年5月29日まで開催されている国境をテーマにした展示会。
国と国、ある協定の提携国と非提携国を分ける、この見えない線について、写真や映像、美術作品、証言を通して移民問題の根本を探っていくという内容です。
学芸員によるレクチャー付きのグループ見学される方々や学校の授業の一環で見学される方々が多く見られました。
13日、テロが発生したとき私は自宅におり、SNS上での友人による投稿ではじめて知りました。
1月の襲撃事件の傷がようやく治まってきたところでのテロは、「またか…」という恐怖に、なんとも言えない失望感も加わって、本当にショックでした。
私の通う大学でも3名の学生が犠牲になってしまいました。
それぞれ夢があって、それに向かって全身全霊を込めて生きていたはずなのに、突然命を奪われるなんてことが実際こんな身近であるなんて…と悔しさとやるせなさとでいっぱいでした。
そんな中、パリの人たちは強く生きています。
事件に怖がっていたらテロに屈してしまう、という考えのもと「Tous au bistrot(みんなビストロへ)」というスローガンを掲げ、街に繰り出しています。
私も少しずつですが、カフェに行けるようになりました。
ただ、事件があった界隈へはまだ足を運べていません。
不安定な国際情勢の中、日本でもテロやその根本の移民問題は決して無関係とは言えません。
受け入れた後どのような関係を彼らと築いていくのか、それによって宗教・文化的な影響はどう出るのかなどなど、考えるべき課題は山積みだと思います。
フランスの移民歴史館への訪問はその現実を真正面から突き付けられたような、そんな気持ちがしました。
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