不便を穴埋めしてくれるもの
バスは、なかなか進まなかった。サラエボの市街地から空港へ向かう時のことだ。
空港へは、宿に到着した時と同じように送って行ってもらっても良かった。しかし、夜の8時の便であるし好きな時間にタクシーを拾ってもいいし、出来ることならば、バスなら、宿で送ってもらうより10分の1の値段で行けるし、面白いだろう。バスは空港前に着くのではなく、1キロくらい歩くらしいが、それ位歩けるだろうと、バス停に向かった。
グーグルマップを見ながら探したバス停は意外とすぐ見つかった。
第一次世界大戦前に起こったサラエボ事件があったラテン橋のすぐそばであった。
なんだ、大したことないじゃないか、と嬉しくなった。
時間に余裕があったし、タクシーに乗るお金があったし、このまま空港へ行ってしまったら、物価の高いお土産を買わなければいけないなと、近くにあったスーパーで安いクッキーの箱をたくさん買った。
クッキーの箱がたくさん入ったビニール袋を抱えてバス停前の売店に行った。地球の歩き方によるとバスのチケットはキオスクで買うと安いと書いてあったからだ。バスのチケットを買いたいのだと言った。ひたすら「Go to Airport」と言っていただけだが、通じなかった。
なんとなく誤魔化してキオスクから離れようとすると若い女性が2、3人集まってきた。
助けに来てくれたようで、どうするんだと聞いてくれた。ひたすらまた「Go to Airport」を連呼すると、タクシーじゃない?とかバスを乗り換えてとか、皆あまりはっきり分かってないようだった。タクシーに乗るお金をスーパーで使ってしまったので、バスで行くしかないと思い、バスに乗り込んだ。
バスの運転手に「Go to Airport」というと、にこやかに頷いてくれたので安心してお金を払った。きっと空港近くになったら知らせてくれるだろうから近くにいた方がいいかなあと思いつつ、空港まで時間かかるだろうし車中は空いていたので車両の中程で待つことにした。その後、どんどん人は乗り込んで来て車内はギシギシだった。
バスは中々進まなかった。歩いた方が早い位、渋滞していた。帰宅時間という事もあるだろうが、大きな道路が、あまりないからなのだろう。私も含めて皆、厚着なので車内はとても暑く、具合が悪くなりそうだったし、何処で降りたらいいのか分からず不安だった。
途中の駅で運転手交代し、乗る時に、にこやかに頷いてくれた運転手は降りていった。
誰が、私に降り場を教えてくれるんだと降りて行く運転手に視線を送ると、大丈夫という感じで、交代した運転手を指差した。
大丈夫だろうと思いながらも不安になったので、Google map を見ながら出来るだけ運転手の近くに行こうとしていたら、高校生か大学生らしい女の子が、「May I help you 」と聞いてくれて、私はまた「Go to Airport」を繰り返した。
女の子は真剣に考えてくれて、バスの運転手の近くにいるおじさんたちに質問したりしてくれた。停留所の少し手前で女の子はここで降りるのと言ってくれたが、おじさんたちは、ここからだと空港は遠いと言っていた。そして次のバス停でも同じようなやり取りが見られた。そしてその次のバス停で、おじさんたちがここを降りるんだ、と言った。私は女の子とおじさんにお礼を言い降りて行った。
バスから女の子はずっと手を振ってくれた。
バスを降りて20分位歩くと空港に着いた。なんで空港から直接の公共交通機関がないんだ、とか色んな人がタクシーを勧めるわけが分かったとか思いながらも、結構楽しかった。
この感覚はベトナムと似ている。不便な所がいっぱいあるけど、人々の親切がそれを補ってくれているところだ。
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