ワーホリ(ワーキングホリデー)でイギリスに行くまで
初めまして、Realiと申します。
2012年6月~2014年6月まで2年間、ワーホリ(ワーキングホリデー)でイギリス・ロンドンに滞在していました。
渡英前は、美術大学に通い、そのまま大学の研究室で働いていました。 昔から海外の映画が大好きで、漠然と海外に興味、憧れがあり、人生で死ぬまでに一度は、外国で暮らしてみたいと思っていました。
今思うと「ただ外国に住みたい」それだけでした。
ワーホリでイギリス・ロンドンに行くというと、「何しに行くの?」「遊びに行くの?」「目的は?」なんて聞かれがち。
実際、自分でもそう思うところもあります。だけど、私はにとっては、”埼玉から東京に引っ越す”のと同じくらい、大きな決断でもなんでもありませんでした。日本で働くのも、外国で働くのも同じ こと。
決めてから1年もせずに渡英したので、ほとんど貯金もなく、現地で働いて生活するつもり満々でした。
…とは言うものの、行くからには、やっぱりアートに関わることがしたい!と思っていました。 イギリスでアーティストとして活躍していた教授にお話を伺ったり、郊外に住んでいる、作家さんの元でアシスタントをする?なんて話もありまし た。
でも、具体的に何をしたいかわからなかった私は、とりあえずはロンドンで生活をしたいと思い、1ヶ月間のホームステイ先だけを決めて渡英しました。
ロンドンでの新生活と英語
ロンドンに着いてからは、ホストマザーや同じ家に住んでいた方とも仲良くなり、パーティーに連れて行ってもらったりと、とても刺激的で楽しい毎 日でした。
ちなみに、私の英語力は中学英語程度だったと思います。ホームステイ先に到着して、初めて言われた”Take off your shose”すら、なかなか聞き取れませんでした(イギリスでは、意外と靴を脱ぐお家が多いです)。
それでも、話し好きなホストマザーの話を良く聞くようにしているうちに、最初は全くわかりませんでしが、だんだんと文脈がつかめるようになってき ました。
日本では、英語の勉強は殆どして行きませんでしたが、唯一やっていたのは、字幕で映画を見まくること。これは、勉強というか好きでやっていたのですが、だんだんと耳が慣れている気はしました。
そして語学学校にも通い始め、友達も少しずつ出来始めました。
最初の頃は、もちろん観光地に行ったりしましたが、観光気分はあまり無く、お金も無いので、ごくごく普通に過ごす日々。あまりに自然で、ホームシックになったりもせず、ロンドンは自分にあってるのかなと思いました。
仕事探しとトラブル
4ヶ月間の学校が終了し、ノッティングヒルのポートベローマーケットで、アルバイトを始めました。
中国人女性の経営する、洋服屋さんです。日本語を使わない、100%英語を使うところに限定しました。
ここでは、3ヶ月ほど働きましたが、その間色々なことがありました。
簡単に言うと、偽札、万引き、突然の解雇、日本に残してきた愛犬の死、家賃値上げ問題などです。辛いことが重なってしまい、このときばかりは、さすがに大変でした。
街中で偶然、大学時代の友達に会い、その場で号泣(笑)。
それでも、日本に帰りたいとは思わなかった。むしろ、私が泣いていたのは仕事が無くなって日本に帰らなければならないと思ったからかもしれません。
家賃問題では、いざ引っ越したら、交渉して決めた金額より、高い家賃を提示されて、討論に。このときは腹が立ったけど、英語で怒りをぶつけることが出来ている自分に少し自信が持てたりもしました(笑)。
そんな状況でも、私を支えてくれる人がいました。仕事が無い私の為に、知人にあたって職を紹介してくれたり。
異国の地だからこそ頼れる人の存在は大きく、私は周りの人に恵まれていたと思います。
仕事を探すため、飛び込みで、色々なお店に履歴書を配りまくりました。だいたいは返事無し。心が折れそうになりますが、それでもロンドンに残るには、やるしかありません。
結局、日本の某大手デパートのロンドン支店で働かせて頂けることになり、とりあえず帰国しなくて済んだのでした(笑)
それは、改めて日本カルチャーの素晴らしさを再認識した場面でもありました。
キツい経験ではありましたが、こんなことも平和な日本にいたら、ほとんど経験しないと思います。これも自分を少し強くさせた要因の一つかもしれません。
デパートの閉店後、次も日本のリーテルで働かせて頂くことが出来ました。ここは、現地スタッフを採用していたので、様々な国の方と一緒に仕事をすることが出来ました。
お客様は完全に現地の方なので、英語での接客、電話対応など、英語力が必要な現場でした。
2年間の生活とアート
フルタイムで働いていた私は、朝起きて仕事に行く。休みには、友達と遊んだり、最低限の生活でしたが、初めに思っていた通り、ロンドンに馴染み、普通の生活をしていました。
でも、何か物足りなさを感じていました。そこに足りなかったもの、それは「アート」でした。
なんだか、格好つけて聞こえるかもしれませんが、ここで言うアートとは、私にとって「ものをつくる」ということです。
日本にいた頃は、美大にいたこともあり、気軽に制作活動をすることができました。そんな生活が当たり前な環境にいました。
しかし、最低賃金で働く外国人の私には、ロンドンで制作活動をする余裕は全くありませんでした。制作するには、お金、時間、場所、道具が必要でした。
日々の生活でいっぱいいぱいの人が、アートなんて言っている余裕は無かった。「そこで踏ん張るのが、真のアーティストだろう!」と言われるかも知れませんが。残念ながら、そんなハングリー精神も持ち合わせていませんでした(笑)。
一応は、アーティストのアシスタンとやボランティアをやってはみたものの、仕事との両立は難しく、足下を見られていると言う感じで、どうにも続けることは出来ませんでした。
以前、知人に言われたことを思い出しました。「芸術を勉強できる私たちは、恵まれてる。生活の基盤があるからこそ、こういうことが出来るんだよ。」と。
さすが、ロンドン。周りには美術大学の出身者がたくさんいました。色々な美術館にも行きました。アートに溢れている街で、確実に刺激をもらった場所ではあります。
ものづくりをしていない点を除けば、生活も安定してきて、毎日とても楽しかったです。ずっとずっとロンドンに住みたいと思っていました。
でも、自分が制作していなかったこの2年間は、アートに近いようで、遠い世界にいたように感じます。
2年間のワーホリを経てわかったこと、それは、「制作活動が出来る世界じゃないと、どこにいても満たされない。」ということでした。無いものねだりかもしれません。
それでもイギリスは大好きで、帰国の時は、友達や大切な人との別れもあり、また絶対に戻りたい!と思います。でも、今度戻るときは、自分のやりたいことが出来る環境をつくってから。
帰国してからは、家族でカフェ&ギャラリー「アトリエ・オレンジベル」をオープンし、制作したジュエリー等を販売しています。その他にも、中学 の同級生と共に「HANE Art and Design Lab」を始め、地元である埼玉県羽生市をアートやデザインを通して、盛り上げて行きたいと思い日々活動 中です。ワーホリでアートに飢えたからこその活動かもしれません(笑)。
これから、ワーホリへ行く方も既に行っている方も、「目的は無いより、もちろんあった方が良い。でも、無くても大丈夫。」だと思います。
ただ、海外で生活することで、今まで見えなかったこと、気づかなかったことを発見し、少しでも以前の自分より成長出来れば良いんじゃないかな。
ワーホリには期限があります。日々大切に過ごしましょう!
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