「お前すごいアジア訛りだな」
冬休みに映画「The Interview」を観てから、自分の中で一つすごく怖くなっていたことがあって、映画の中で酔った白人男性が、北朝鮮の人からの電話に出た時、「お前すごいアジア訛りだな」と言うシーンがあって、それにものすごくどきっとしたんです。
というのも、私がその電話の相手との英語を全く違和感なく聴いていたからなんですね。
それはつまり、私は相当アジア訛りに慣れている…自分もそういう風にしゃべっている可能性が大きいということで。
私は帰国子女でもないし、インターナショナルスクールに通っていたわけでもないのに、日本でも英語圏の国でも「英語の発音上手いね!流暢だね!」と言われることが多かったのです。
だから、お恥ずかしいことながら、自分が「アジアンアクセント」を持っているということにほとんど気がついてなかった(あってもそこまで酷くないと思っていた)のですね…。
で、偶然、自分が話す英語を録音して聞く機会があったときに、もう ドッカーン!!! ですよ笑
「自分すっごいなまってるーーーー!!!!!!」と笑
本当にアホな話しなのですが、それで数日間、本当に悩みました笑
他の留学生に話してみたところ
「アメリカ人だって地方や出身によってみんな訛りはあるんだから、そんなこと気にするより意思疎通ができる方が大事でしょ?」
「別に英語圏で育ったわけじゃないんだし、訛ってるのは当たり前だよ」
と、とっくの昔に皆さっくり割り切っていた中、私は毎晩泣き泣き、ネイティブの発音を真似ながらテキストを音読したりしていました笑
私にとっては日本人としての大事なidentity
なぜこんなにも、自分が英語の発音に固執していたのかと考えた時
「英語の発音が上手い」
ということが、私のアイデンティティーの一部になっていたのだと気づいたんです。
これまでずっと褒めてもらえてきたことだったから、自分の中でちいさなプライドでもあったし…。
しかし、日本で構築した「英語の発音が上手い」というアイデンティティーは、英語を日常語として話す国では通用しないわけで。(そもそも発音やアクセントよりも、多くの語彙やフレーズを知っていることの方が、会話では大事ですからね)
「英語を上手く話せていない自分」を認めること=アイデンティティーの一部を自主的に壊さなければならないという感覚で、それはすごく苦しいことでした。
今は「アジアンアクセント可愛いよ!消さないで!」と言ってくれた友人たちのおかげで前向きになっていますが笑(単純。)
確かに、東京出身の方からすると関西弁などの方言が魅力的に聞こえるというのはよく聞きますよね。それと同じことかな。
ここ数日、アイフォンのアプリから、日本のラジオ番組の再放送をよく聴くこともあってか、やはり私のものの考え方、精神など、全ての起源は日本にあるのだなあ…と近頃痛感しています。
アメリカに居て、正直、日本にいる時よりも息がしやすい感覚はありますが、それでもやっぱり、ネイティブと同じように完璧に近い英語を話すことができないように、私が自分の内面を、完全に「アメリカ人化」できることは絶対にない。
でもそれでも、私は「日本」という国を、自分の人格の根底として持っているという感覚が好きですし、そんな風に私に思わせてくれる祖国を慕い、誇りに思っています。
このアクセントも、私にとっては日本人としての大事なidentityの一部です。
今はそれも好きと思えるようになってきています。
[こちらのブログより寄稿していただきました。]- アメリカで社会学を学んでいます - 2015年8月15日
- 私のアジアンアクセント - 2015年7月2日
- リベラルアーツ大学への進学が、高校の時から私の夢でした - 2015年5月23日
- 芸術と経済に挟まれながらアメリカ留学 - 2015年5月9日