フィリピンの大学に学部留学
現在大学4年生の川西です。
昨年大学を休学し、フィリピンに1年留学していました。
2か月間の語学学校の後、7か月現地の大学に通い、その合間にボランティア活動を行っていました。
今回の記事では、私の体験談を通し、フィリピンの魅力やアドバイスをお伝えしたいと思います。
また、留学では色んなことが挑戦できるということをお伝えしたいです。
留学を決めた3つの理由
私がフィリピンに留学を決めた理由は
①英語力の向上
②発展途上国の実態を知る
③視野を広げる
です。
①英語力の向上
フィリピンは英語を第二言語としており、アジアの中で一番英語を話す人口が多いと言われています。
小学校から大学まですべての授業が英語で行われていて、英語のレベルは高いと思われたので、語学留学としてフィリピンを選びました。
②発展途上国の実態を知る
私は大学で国際法を専攻していたこともあり、戦争や貧困による人権侵害に強い問題意識をもっていました。
そこで、ASEANの中でも急成長しているフィリピンですが、いまだに貧困率が高いことから、貧困の現状などをこの目で確かめたいと思ったからです。
③視野を広げる
フィリピンは日本とは違う点が多くあります。
アジアの中で唯一キリスト教の国であり、実に87つの言語を持ちます。
同じアジアとは言え日本と大きく異なる文化をもち、多様な価値観に触れ、それらを体験したいためフィリピンを選びました。
2か月間、セブの語学学校へ
フィリピンでは近年英語留学が盛んです。韓国資本の語学学校がたくさんあり、期間は1週間から選べます。
たっぷり英語づけになるので、早期で英語を伸ばしたい人はおすすめです。
私はフィリピンに来る前ほとんど英語が話せませんでした。恥ずかしい話ですが、TOEICはなんとこの時点で370点。
留学前に英語を学べば学ぶほど、英語留学だけではない、濃い体験の留学ができるので、TOEICも高い点数をとっておいたほうがいいです。
結果として2か月で650点まで延びました。
私はCEBUのPELISというところに留学していました。
フィリピンではいま韓国資本の語学学校がたくさんあるので、軸を決めて探すことをおすすめします。
私の場合は
・Wi-Fiがつかえる
・安い
・スパルタ
・マンツーマンが多い
ということを軸に探しました。
今ならネットでも十分探せますが、私はより詳しく知りたかったので、適当なエージェントを見つけ、無料相談をして決めてもらいました。
スパルタとは、これも語学学校によるのですが、私のところは平日外出禁止で朝8時から夕方5時まで(取りたい人は朝6時から夜7時まで)みっちり勉強できることでした。
しかし私の友人でバギオに留学した友達は、語学学校内で日本語を使った場合は罰金があり、常に英語+夜10時からの強制自習があったみたいなので、スパルタの度合いも調べたほうがいいと思います。
2か月の間に2回TOEICを受ける機会があり、370→650点までとりあえずもっていくことができました。
マニラのデラサール大学へ
大学学部留学とは、語学学校に通うのとは違い、現地の大学に行き、現地の生徒と同じ授業をとることです。
語学学校で培った英語力を専門的な分野で使うことで、さらに使える英語を身に着けることができると思います。
語学学校のおかげで少し自信がもてた私はマニラに移り、私立デラサール大学に留学生として入学しました。
私の大学では、国立大学のフィリピン大学、私立デラサール大学、私立アテネオ大学のどれかから選んで学部留学という形でした。
フィリピン大学は日本でいう東大で、フィリピンで一番学力が高い大学とされています。
国立のため、設備など(真夏ですがクーラーがない場所が多い)あまりよくないです。ただ、大学内がとても広く、緑が多いです。また、貧しい人も一生懸命勉強して入るので、いろんな背景を持つ人と仲良くなれます。
アテネオとデラサールは日本でいう早稲田と慶応のようなものです。私立で学費と学力が高く、フィリピンのエリートが通う学校です。
私がデラサール大学を選んで一番よかった点は、留学生をサポートする体制が整っている点と生徒の英語の質が高いということです。
・留学生サポート団体IC
International Center 通称ICとよばれる大学の国際課は、留学生のお世話をして下さり、手続きに限らず、生活や授業で困ったことがあるとなんでもサポートしてくれました。
私はこの団体のおかげで半年間の留学生活を乗り切ることができたのでとても感謝しています。
・英語
デラサール大学は多くの国から正規学生として学んでいる生徒が多いため、日常的に英語が話されています。発音もすごく綺麗で、とても英語の勉強になりました。
フィリピン大学も一カ月ほど滞在しておりましたが、英語は授業で行うとされていてもグループトークの際、タガログ語を話されることが多かったです。
履修授業
授業は大体好きなものをとれると思います。
私は東南アジアの歴史、国際開発、フィリピン開発について履修していました。
日本の大きな部屋で1時間半教授の講義を聞くスタイルとは大きく異なり、30人くらいの生徒と共に授業をうけます。
教授がレクチャーしつつ、生徒も積極的に話に参加し、議論しあいます。
ただ話を聞いているだけではなく、先生の話を聞いた後、グループに分かれてディスカッションをします。このようにグループに分かれて行動するという体験が多かったです。プレゼンやプロジェクトもすべてグループでした。
私はこれらの授業により経済や開発関係の単語に少し詳しくなることができました。
①貧困調査プロジェクト
私がした課外活動は大きくわけて4つあります。
冒頭にあげました私が留学した理由として『途上国の実態を知る』があります。
デラサール大学は基本的にお金持ちの子が通う大学なので、その中にこもっていると全くフィリピンの現状を知ることができません。
貧困問題に関心がある私をふくめた日本人のラサール生3人と、2人のフィリピン人ラサール生でプロジェクトを立ち上げました。
貧しいバランガイ(フィリピンの行政の最小単位です。村のようなものです)に行き、収入や生活についてインタビュー形式でまとめ、レポートにしました。
あくまで自分たちが途上国の現状を知るということを目的にしていたため、集めた資料をどこかに提出ということはせず、レポートにまとめただけでした。
それでも、貧しい暮らしがどのようなものなのか、何を考えているのかを、少しは知ることができました。
②フィリピンの子供たちへボランティア支援
私は子供の人権について強い問題意識をもっていたので、フィリピンでは必ず子供の人権を守ることをしているNGOでボランティアをしようと決めていました。
フィリピンはNGO大国と言われていて、とくに日本からのNGO団体が多くあります。(政府の汚職が激しく、公共なサービスが国民に行き渡らないためだと思われます)
ストリートチルドレンのサポートや女性の雇用を創出する手伝いなど活動が多岐に渡るため、キーワードを自分の中で決めて探すのが一番だと思います。
私は『国境なきこどもたち』というところでボランティアをしていました。
この団体は、親と暮らせない子供、刑務所にいる子供、学校にいけない子供、ストリートチルドレンなどを対象に保護活動を行っています。
私は毎週末往復4時間かけ、親と暮らせないフィリピンの子供達に日本の文化を伝えるために足を運びました。
詳しくはこちらをご覧ください。
そのフィリピンの子供たちは英語があまり話せないので、初めは言葉の壁と心の距離がありました。
しかし、少しでも彼らに近づこうと、現地語であるタガログ語の猛勉強を始めました。
なかなか懐いてくれなかった子も、私が日本に帰国する際には泣いて送り出してくれました。
③ごみ山の現実を知る
この団体は『若者の家』と呼ばれる建物だけではなく、ごみ山で有名なスモーキーマウンテンと貧しいバランガイにそれぞれAlternative schoolを設立しています。
Formalな学校ではないですが、子供たちが無料で勉強できる場所です。
スモーキーマウンテン。
この場所は1954年に焼却されないごみの投棄場になり、それ以来マニラ市内のごみが大量に運び込まれ、ごみの中から廃品回収を行い、生計の糧にする市民が住み付き、スラム化しました。
名前の由来は捨てられた生ごみや様々な種類のゴミが入り混じって化学反応を起こし、この山がいつも煙をあげていたことにあります。
スモーキーマウンテンには現在約20万人の方が住んでいます。
私はそこに何度が訪問し、子供たちの交流やごみ山の生活を目の当たりにしました。
ある友人が子供に
『いま、何が一番したい?望んでいる?』
と聞くと、小学6年生の男の子は
『おかあさんは毎日ゴミ山に行ってごみを拾ってきてくれている。それはすごく大変なこと。だからお母さんにはもう働いてほしくない。』
それを聞いていたお母さんは涙を流して男の子のことを見つめていました。
そこで体験したフィリピンの現状は想像していたよりも厳しかったです。なので、このようなNGOが彼らの教育を支えていることを実感しました。
そしてそのNGOをサポートされている企業や個人の方に感謝の思いでいっぱいになりました。
④リーダーとして開催した異文化交流イベント
留学先の大学はお金持ちでしたが、その周りには多くの貧しい人々が住んでいました。
私と同じように貧困の現状について学びたい日本人の友が多くいましたので、近くに住んでいる貧しいフィリピンの子供達と、日本のことを知ってもらえるような異文化交流イベントを企画することを提案しました。
目的を『日本のことを伝える』『形にのこす』『役に立つ』『楽しんでもらう』ことにし、それぞれの目的を達成できるようなイベント内容を考えました。
・困難だった打ち合わせ
開催するにあたって、地元の町内会、大学の国際課、大学のボランティア管理部に、リーダーとして連絡をとっていました。
これが一番大変でした。
それぞれの団体にあいている日にち、場所、内容の許可をとらなければならないので、確認作業と打ち合わせがとても苦労しました。
その時期は、学期末や大きな試験がある時期でとても忙しく、何度も日にちや場所の変更をくりかえし、一時期はイベントが開催できない危機にみまわれました。
しかし、リーダーとして絶対イベントを開催し、成功させたったので最後まで粘り強く交渉しました。
なんとかイベント成功
朝から大量のコロッケと肉じゃがを用意し、迎えた当日。
(大量の料理と器具をもっていたため、大学のセキュリティに最初止められました。笑)
タガログ語と日本語ができる友人に司会をたのみ、スポーツからスタート!
最初は緊張した様子の日本人留学生と子供達でしたがゲームが始まると、あっという間に夢中になり、楽しそうな様子でした(^^♪
お昼は日本食!ということで、コロッケ、肉じゃがとジュースを用意しましたが、あまり子供たちの口にはあわなかったみたいです。(大人は喜んで食べてくれました)
午後は日本語の歌を歌い、最後に、クリスマスが近かったので、紙でつくったクリスマスツリーにクリスマスの願い事を書いてもらいました♪
そして『形にのこす』『役に立つ』ということで、クリスマスプレゼントとして、大学名と地元の名前をつけたTシャツをプレゼント!これはすごく喜んでもらえました(^^♪
とにかく事故もケガもなく無事に終わって安心しました。
実はこのイベント、2回目だったので、毎年恒例になるとうれしいです><
青年海外協力隊の活動参加
私はフィリピンに留学する前から青年海外協力隊の活動に強い関心をもっておりました。そこで、フィリピンでも活動しているはずだと思い、探してみることにしました。
すると、女子でフィリピンの協力隊の活動を詳しくブログにのせていらっしゃる方がいました。さっそく連絡をとり、アポイントメントをとり直接お話を伺うことができました。
その方が活動しているのは、私が住んでいたマニラから南にバスで約10時間のところにあるメルセデスという場所です。
そこには美しい海があるということで、帰国前に尋ねてみることにしました。
連絡すると、たまたまその日に協力隊の活動として島の子供たちにクリスマスのギフトプレゼントを渡すイベントを行うということで、急遽参加させて頂くことになりました。
メルセデスからさらに船で1時間したところに8つ島がありそのうちの3つが人が住んでいる島なので、そこの子供たちと交流するということでした。
着くなり、子供たちがいっぱいついてきてすごくかわいかったです!
100人くらいの子供がいるなか、日本の盆踊りを踊ったり、フィリピンで有名な曲をみんなで踊ったり、ゲームをしたりして楽しい時間を過ごしました。そして最後にプレゼントを渡して終了です。
2つ目の島がおわり、3つめに移るとき船長が
『波が高くて船を出せない』
ということで、ホテルも予約していましたが、急遽その島に泊まることに!
人が泊まれる大きな場所があり、そこを貸してくださいました。
お風呂、電気なしです!初めてのサバイバル体験に驚きながらもどきどきしていました。日の明かりをたよりにご飯もつくってくれ、なんとか1日過ごすことができました。
私もタガログ語を独学で勉強していたのですが、協力隊の女性は本当にタガログ語が上手でした。
また、様々と起こるハプニングに動揺する様子をみせず、常に冷静に臨機対応されている姿に感銘を受けました。
私は30人規模のイベントを運営するのもとても大変だったので、100人規模のイベントを3つ、しかも1時間も離れた島の人たちと連携をとるのはとても大変だと想像されたので、尊敬の思いでいっぱいになりました。
この地にもまた戻ってきたいと思います!
ストリートチルドレンへの寄付
留学先の大学の近くにBT(Bahay Truyan「ふるさとの家」)というフィリピンのNGO施設がありました。
そこは、事情があって親と暮らせない子供たちを保護している団体で、建物の1階はストリートチルドレンが遊べる場所を開放しています。
友人と共に訪問させていただきました。多くの子供たちが遊んでいて、入るやいなやすぐに抱き着いてきて一緒に遊ぼうと言ってくれました。
フィリピンで暮らしていると、ストリートチルドレンを多く見かけます。そして毎日のように物乞いをされるという体験をしました。しかし、実際にストリートチルドレンと話す機会はありませんでした。
留学10か月目にして、初めてストリートチルドレンと交流する機会ができました。
髪の毛はふけだらけで、服もボロボロで裸足の子供がほとんどで、衝撃をうけました。
遊んでからしばらくは、ストリートチルドレンを見るたびに彼らのことを思い出し、いたたまれない気持ちが続きました。
ある日のことです。
大学内をあるいているとBTで遊んだ彼らに出会いました。彼らは物乞いをしていました。
声をかけ、しばらく話し、カフェに向かおうとすると私に物乞いをしてきました。
しかし、私はお金をあげることができませんでした。
彼らは普段から無視続けられる存在である。
彼らにとって私は「この間遊んでくれたやさしいお姉さん」。なのにその人に無視をされる。
私はどれだけ彼らの心を傷つけてしまったのか。
彼らを助けたい気持ちと、何もできない力がない自分、無力さを感じ、留学時代おそらく一番苦しい気持ちになりました。
本当に何かできないのか?と考えたとき、私は帰国近くだったので自分のいらない服を寄付することにしました。
それだけでは少ないので日本人の友人・協会従事者・フィリピン人学生にお願いし、大学の関係でお金は寄付できないので、洋服や使える文房具を寄付してもらうことにしました。
そして一週間で段ボール6箱分くらいのものを集めることができました。
それをもっていくと『オーストラリアからの寄付は多いけど、彼らは服が大きいから子供に入らない。だから小さいサイズの服も入っていてうれしい』と、言って頂くことができました。
協力してくださった皆さんにとても感謝しています。
フィリピンでの体験をとおして伝えたい、やっておくべき3つのこと
ここまでいろいろ体験談をお話させていただきました。
最後にフィリピンでやっておくべきこと(というよりやっておいてすごく良かったこと)をお伝えして終了したいと思います。
①現地語の勉強
フィリピンは国として87言語ありますが、公用語は『タガログ語』です。
私の留学の目的は英語力の向上だけではなく、現地の文化や生活をよく知ることでした。
フィリピンは貧しい人や子供は英語があまり話せない傾向にあります。そういう人たちと直接自分の言葉で話すためにも、現地語は必須だと思い、独学で勉強しました。
フィリピンは英語留学が主流になっているため、現地語を勉強している学生は少ないので、話すとたいていとても驚かれます。笑
知らない人に話しかけられ、すこしでもタガログ語が話せると盛り上がって、15分ほど立ち話をするという体験もしばしありました。コミュニケーションツールの一つとしてとても役立ちます。
言語に加えて食・文化・音楽なども勉強しました。
フィリピンにはアドボやシシグやあひるの有精卵をゆでたバロッドという伝統的な食べ物があり、一通り試し、自分で作ったりもしました。
フィリピンの文化として目上の人を敬う・家族を大切にする・人前で絶対に怒鳴ったり叱ったりしてはいけないというのがあります。
また、フィリピンでお年寄りの方に合うときは、(人によりますが)相手の手の甲に自分の頭をつけて「マノポ」といいます。
外国人なので、必ずしもやる必要はないですが、私は現地の方に尊敬の意を表したかったので、できることはすべてやりました。
音楽はタガログ語を勉強するために聞いていたのですが、一つでも知っていると音楽とダンスが大好きなフィリピン人と一緒に歌ったりダンスできるのでとてもよかったです。
②フィリピンに来たら行ってほしい、おすすめの場所
フィリピンでは先ほど述べたとおり87言語あるとおり、色んな言語や文化を持った人たちがたくさんいます。
日本でも東京と地方では食べ物,習慣,見どころが違う様に,
約7000の島からなるフィリピンは場所によって雰囲気が大きく異なります。
私が旅した場所でおすすめのところを紹介します!
<フィリピン>
セブ島:
マニラとは違い『セブアノ』という独自の言語をもつセブ。交通渋滞もそこまでないし、穏やかで素敵な場所です。
オスロブではイルカやジンベエザメと一緒に泳ぐ体験ができるアクティビティがあるみたいです!
ルソン島内
バナウェ:
首都マニラより北にバスで10時間のところにあるバナウェ。
イフガオ族が2000年前に作った棚田が今でもあり、天国への階段と呼ばれ、世界遺産に登録されています。美しい景色を見て涙を流すのは初めての体験でした。
サガダ:
バナウェから車で3時間のところ。洞窟探検を体験したいためだけに行きました。
2時間コースと4時間コースがあり、必ずガイドさんを付けます。(2時間500ペソ、約1300円)
過去に死者がでているくらい生半可ではないスリリングなアドベンチャーでした。死ぬ前にいっとくべし!
スービック:
マニラから北にバスで4時間。前にアメリカ軍基地があった場所です。
フィリピン最古民族のアイタ族の村にいける。マニラの人たちと見た目も全然違いました。サバイバル体験ができます!
バタンガス:
マニラから南にバスで4時間。ダイバーの聖地と呼ばれるアニラオに行き、スキューバダイビング。
電車とバスとジプニーを乗り継いでいくので旅気分を味わえます!
タガイタイ:
マニラからバスで2時間。世界一小さいタール火山があります。なんと45分で頂上までのぼれます!
ビコール地方:
マニラから南に10時間。青年海外協力隊の活動に参加するために行きました。
田舎らしさがとてもよく、人々の性格もマニラの人と違ってちょっとシャイでした。
ミンダナオ・カガヤンデオロ:
(外務省の注意喚起がでていないかチェックしたほうがいいと思います)
ミンダナオに留学する友人を訪ねました。近くのカミギン島にあそびにいったり,マングローブの植林ボランティアを現地の学生と行ったりして、充実した時間を過ごしました。
コレヒドール島:
太平洋戦争時代に最後に日本兵が残留していた場所で、観光というよりは日本人として歴史認識を深めるためにいったほうがいいとおもいます!マニラから船で一時間です。
多くの場所を訪れ、さまざまな人に会うことによりフィリピンをより深く学ぶことができます。
③フィリピンでしかできないことをする
せっかくフィリピンに留学しているので、ボランティア・インターンをしたり、イベントを開いてみたり、現地の方とコミュニケーションをとったり、日本ではできない、またほかの国ではきないことに挑戦してみてください!
色んな文化や価値観を体験できる
フィリピンは一言でいうと、とても温かい国です。
初めて会っても、昔から知っているように優しく接してくれます。
英語だけではなく、色んな文化や価値観、そしていまだに深刻な貧困の問題が勉強できます!
フィリピンの魅力に取りつかれること間違いなしです!
自分の可能性を最大限に広げてみたい皆さん、ぜひ挑戦してみてください。
- わたしのフィリピン留学体験談 - 2015年9月19日
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