タイでの学校生活の中で感じたこと
こんばんは!
タイで授業を受けていると、日本の大学の1コマは、なんて短かったんだろうと思うようになります。
しかも、めちゃくちゃ集中している分、授業が終わってみると毎度ものすごい疲労感に襲われます・・・
来週からはこの授業のあとにバイト(在宅)を再開するので、仕事中に寝てしまわないか心配です(笑)
本日はタイでの短い学校生活の中で感じたことを書きます。
私がみなさんにお伝えしたいこと。
それは、“東南アジアは本当に貧しいのか?”ということです。
この写真を見てもらえばお分かりの通り、中心部の発展は既に東京を超えているように思います。
こちらでの今週の授業で知ったばかりのデータをお伝えします。
東南アジアの都市部の成長率は、現在、東京やニューヨークの3倍です。
そして、2050年にはその勢いはさらに5倍にもなると予想されています。
これはとんでもないデータですよね・・・。
こないだタイのSiamの紀伊国屋に行ったら、東南アジアのビジネス書が、山のように陳列されていたのも納得できました(笑)
しかし、中心部の発展とは逆に、私は東南アジアに間違った認識を抱いていました。
貧しさについての間違った認識
今回はこの都市部の成長のみに対する意見ではなくて、そこに住む人々に注目して思ったことを書いてみます。
正直に話すと、私は東南アジアの一国であるタイで生活を始めてもなお、この国に対する不信感や同情心・無意識のうちに"私と彼らは違う"といった差別の心を持ってしまっています。
なぜこう思うのか?
私は他の人よりも、東南アジアに対する先入観が強かったことが原因として考えられます。
私は大学入学当初から、海外へのボランティア団体に所属していました。
そこで、東南アジアの最貧国と言われるラオスへ教育支援をしていたのです。
この団体で、東南アジアの状態を初めて知りました。
それ以来、東南アジアは物資が足りていない・支援を求めている・貧富の差が激しい国だという認識が、私の中に生まれ、現在もなかなかそのイメージが抜けていないといった具合です。
もちろん私たちが支援していた土地はラオスの田舎にある村で大体はそのイメージ通りだったのですが、東南アジアの全ての国がそういうわけではありません・・・。
頭では分かっています。
しかし、私が初めて観光で訪れたタイでも、当時感じた日本との違いが非常に色濃く残っているのです。
タイに来る前も「タイは安くて簡単でバカ騒ぎできる国」なんて印象しか持っていませんでした。
そんな私が最近になって思うこと。
それは、タイに住む彼らは“自分たちが知識や情報に乏しくて貧しい人種”だとは思っていないということです。
というか、私の目から見ても彼らは全然貧しくありません。
私のここでの"貧しい"の定義は所得や生活水準ではありません。
心の豊かさです。
実際に知識や情報ってお金がなくても得ることは可能ですよね?
ここが日本人の感覚の麻痺してる部分だと思うのですが、いまの時代ではネットがすべての情報源だと思われがちです。
例として、私は実際パソコンがないと何もできない人間です・・・。
そりゃ、日本に比べるとまだまだテクノロジーに触れて生活してる人って、東南アジアでは少ないかもしれません。
逆に、日本は何でも機械導入しすぎですが。
そういった"アクセスの乏しさ"って別に、心の豊かさとは全く関係ないんですよね。
私が東南アジアで衝撃を受けたこと
・物乞いをする、体に障害を持つおじいちゃんに食べ物やお金を恵んであげる人
・どろまみれで身体中真っ黒のワンちゃんに餌をあげる人、頭をなでてあげる人
・小さな子どもに話しかけたり可愛い赤ちゃんに微笑む人、声を出してあやす人
最近、タイでよく見かける光景が上記の3つです。
私がタイに来て一番驚いたのは、彼らが同じ国の自分より弱い立場の貧しい人に対する態度でした。
旅行客としてしか、この地を訪れたことのない私からすると、物乞いは観光客がターゲットのものとばかり思っていました。
実際多くのお金を得られるのは観光客からかもしれませんが、私はタイの方が同じタイ人の貧しい男性にお金を恵んでいるという光景が、本当に衝撃的で信じられませんでした。
後は普通にワンちゃんと戯れてたり、小さい子を可愛がったり・・・。
日本では当たり前に見る光景にすらびっくりしてしまいました。
私は彼らが自分たちと同じ感覚を持って、他人を思いやる気持ちも人間として持っているということを、"貧しいからありえない"と勝手に思い込んでしまっていたのだと思います。
かなり失礼なことですけど、私はこんな風に以前まで考えていました。
みんな自分のことで手一杯なはずだと思い込んでいたのです。
私はタイに来る前、カンボジアにも観光で滞在したことがありました。
そのときもまったく同じ気持ちでした。
1975-1979年のジェノサイドのために、相当な同情心を持って入国し、結果さらにその意識をよりこじらせて帰国しました。
ですが、今日たまたま図書館に行ったとき、虐殺によって父親を殺されたカンボジア人の女性が書いた本を読みました。
その現場が1秒で想像できるくらい、現在のバンコクとさほど変わらない、普通の日常が描かれていることに衝撃を受け、そのショックで号泣しました。
こんな当たり前の日常であんなに悲惨なことが起きたということが、文字を追っていくにつれハッキリ認識できてしまったからです。
そりゃまだ40年しか立っていないので当たり前ですが・・・。
本来ならこんなことで号泣するのはおかしいのですが、彼らの住んでいる世界って、別に今も昔も日本人の私が住んでいる世界と何にも変わらないんですよ。
私が勝手に可哀想などうしようもできない土地だって、誤った認識をしていたというだけなんです。
でも実際、これまでの私のように、まるで彼らのことを自分とは違う人種のように見ているタイ人の富裕層がいることも事実です。
こっちにきてから彼らにも少し衝撃を受けることはありました。
タイの不幸な点は国民の中で明らかな貧富の差が表れていて、それを毎日全員が認識して街を行き交わなくてはいけない点です。
たぶんこれに関してはここで生活を続けていく上で、これからも考え方が変わっていくと思うので、また思うことがあればその都度記録していきたいと思います!
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