海外就職のためワーホリビザを取得
僕は、2013年9月〜2014年8月までカナダのアルバータ州バンフという所にワーホリビザを使って滞在していました。
その後、南米を二ヶ月間旅したあと、オーストラリアに移動し現在オーストラリア二年目です。
今は西オーストラリア州カラサという天然資源の採掘で有名な街で働いています。
今回は、就職のためカナダに到着してから、クビになりマイナス30度の寒空の下に放り出されるまで…。
普通の順序は、
ワーホリビザ取得
↓
カナダに入国
↓
仕事を見つける。
だと思うのですが、僕の場合は
就職が決まる
↓
ワーホリのビザを取るように指示される
↓
ビザを取得
↓
カナダに入国。
という順序でした。
なので、ワーホリなんだけどワーホリで来たという感覚は全くありませんでした。
というより、ビザ取得の指示が出てから
「ワーホリって何?」
となりました。(聞いた事くらいはありましたが…)
僕がワーホリに行こうと思った理由はありません。会社の指示です。
将来的にアフリカの国立保護区で現地ガイドとして働こうと思っているので、英語圏で現地ガイドの求人がある旅行会社を中心に就職先を探していました。
そこで、バンフにある旅行会社の求人を見つけて、応募をして内定を頂いたという流れです。
元々旅行会社への就職が急だった事もあり、入国前に僕が用意したのは40万円ほどでした。
それから、日本でも色々な手続きや最後に友達と会ったり等でお金がかかり、現地に着いた頃には30万円でした。
この旅行会社で働き始める前に、ホテルでハウスキーパーとして働いたのですが、長く働ける後釜が見つかったため1ヶ月でクビになりました。
その給料が計1300ドル。
その後、免許取得までの間、社長からは「暇だろ?」という事で仕事を貰っていました。
働いた後に知った事なのですが、全てタダ働きでした。最初から知っていたら働くわけないですし。
旅行会社で働き始める頃にはもう日本円が底を突き、ホテルで稼いだ給料しか残っていませんでした。
現地ガイドを目指し、ついに会社に就職したが…
僕が就職した会社は、社長も社員も全員日本人です。
9月中旬に現地に引っ越しました。
本格的に仕事が始まるのは12月からです。
まず、現地ガイドに必須なclass4と呼ばれるミニバスの免許の試験を受けました。
乗客25人まで乗る事が可能な免許です。
この免許を取って初めて正社員になることが出来る約束です。
これを取るのに、手続きの関係やテストに落ちたりなどで約2ヶ月かかりました。
僕は何度も試験に失敗したため1000ドルはこの免許のために使いました。
そして、11月下旬、実技試験に合格し、無事に旅行会社で働く事となりました。
ただ、仕事場はバンフではなく、そこから車で3時間程離れたインバーミアという街でした。
仕事内容は街と、パノラマと呼ばれるスキーリゾートを結ぶシャトルバスの運行。
現地ガイドの仕事は夏限定なので、それまでのつなぎの仕事でした。
すぐに荷造りをして現地の寮に引っ越しをしました。
仕事自体は1往復1時間の道のりを1日8往復するだけでした。
道はスケートリンク状になったいろは坂のような感じです。
給料は日給100ドル。
待機時間や、ミニバスのメンテナンスの時間も含めると時給7〜8ドルくらいだったと思います。
そして入社して一ヶ月後、新年早々僕は先輩社員と喧嘩になりました。
仕事をクビにされ、バンフへ強制送還される
原因は些細な事でしたが、毎日のように車が壊れては修理をして、休憩したくても社長が来る度に食事会。
家賃は入居してから上がるし、賃金は低い。
何かトラブルがあって社長に電話しても、
「え〜分かんないよ。適当に何とかしてよ」
さすがに社員全員精神的に限界でした。
結局僕だけがクビになり、先輩には一切何もありませんでした。
ただ、一つ運が良かったのは僕は既にこの会社を辞めようと決めていました。
何もかもがあまりにも酷すぎる。
仮に辞めても、ワーホリビザなので他の会社でも働く事が出来る。
そう思った僕はひとまず別の仕事を探そうとバンフにあるホテルに片っ端から履歴書をメールで送っていました。
そして、いくつか面接の機会を頂いたので、せめてこの会社の12月の分の給料が入ってから辞めようと思い、ホテルには一月末に面接するとの事で約束を既に取り付けていました。
これが不幸中の幸いでした。
クビになった翌日、僕はインバーミアからバンフに強制送還されました。
夜8時。外はマイナス30度。
泊まるアテもなく適当に荷物と共に車から降ろされました。
そして最後にガソリン代20ドルを払いました。
「とりあえず、このまま外で寝たら死ぬな」
ひとまず、僕は以前少し働いていたホテルに行き、同僚に空きを聞くと空いていたので、部屋を押さえました。
1泊$40を特別に$30に値引いてもらい、その特別価格で3日間泊まらしてもらいました。
ホテル代を払うと残金は350ドル。あ〜何やってんだか・・・
一月分の家賃$300を払った翌日にクビとはなかなか不運でした。
あと2日早くクビになっていればまだ楽だったかもしれません。
ベッドに寝っ転がるとしばらく起き上がれませんでした。
翌日、ひとまず面接の機会を頂いたホテルに連絡をして事情を話すと面接の時期を早めてくれることになりました。
その2日後に面接をする事になり、そのまま無事にホテルで働く事になりました。
また、寮も完備で家賃は給料から天引きだったので非常に助かりました。
日本語ガイドの仕事と永住権にまつわる労働問題
実際にバンフに来てから知った事なのですが、日本語ガイドは永住権の取得をする際にかなり有利な職種だそうです。
スキルワーカーと呼ばれる枠に日本語ガイド業が入っているらしく、永住権の応募資格を取りやすいみたいです。
なので、カナダでは永住権を取りたい人は、現地の日本語ガイドをする人が多いです。
社長は社員が永住権を取りたいという事を知っているので、理不尽な要求など平気でします。
なぜなら、それでも辞めない事を知っているからです。
特に2年目以降の社員はワーホリビザではなくスポンサーシップビザに切り替えます。
このビザはスポンサーとなった会社でしか働く事が出来ません。
なので、社長からするとかなり都合の良い存在になります。
これは2年前の情報ですが、ガイド業経験者が永住権を申請するにはスーパーバイザーとして2年間働く必要があるそうです。
小さい会社であればそのポジションの枠は1つ。日本人経営の旅行会社なんてほとんど1枠だと思います。
(実際は社長がペーパーカンパニーを作ってスーパーバイザーの枠を増やすので1枠しかないということは多分ないです。僕がいた会社は2枠、そしてもう一つ増やすと社長がおっしゃっていました。)
後はお分かりですね。社長に気に入られないとスーパーバイザーに昇格出来ません。
何でもかんでも
「分かりました」
「僕がやります」
永住権のためにひたすら社長の奴隷になります。
これがカナダのガイド業の実態です。
僕みたいに何も知らずに入社した人、また、本気でガイド業が好きな人もいます。
そして、中には真面目な社長もいると思います。
僕が言いたいのはこういった側面もあるということです。
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