日本から遠く離れた国インドネシア
「こんなにたくさん車が走っていて、こんなにたくさん高層ビルがあるとは思わなかったよ、おれの住んでいる町よりずっと都会だ。」
とは、日本の親会社のとある地方事業所からジャカルタに出張に来た人たちの第一声です。
確かにジャカルタのメインストリート沿いには高層ビルが連なり、高速道路から見渡す光景となるとここはロサンゼルスじゃないかと勘違いし兼ねないほどです。
しかし、高層ビルの横を一つ奥に入り込むと、そこには映画のセットよろしく別世界が展開されていることなどは、なかなか一見さんにはわかりません。
ジャカルタ駐在が決まったとき、
「インドネシアへ赴任することになりました。」
と挨拶すると、たいていの日本人はインドネシアがどこにあるかも知らないので、南の方の離れ島にでも行ってしまうものだと思うのでしょうか。
今生の別れのように半ば哀れんでくださることが多く、欧米の国へ行くのとは正反対の反応が返ってきます。
今でこそインドネシアではNHKの衛星テレビ放送が楽しめ、インターネットもあるのでリアルタイムに日本の情報が入りますが、私がジャカルタに赴任した1991年頃といえば、毎日シンガポール経由で夕方に来るその日の朝の新聞か、NHKの短波ラジオ放送しか無いので、情報収集のための高感度の短波ラジオは赴任する際の必需品でした。
高感度の短波ラジオといっても、アンテナ線を部屋に張り巡らしても受信状態は不安定で、ボイスオブジャパンのニュースのアナウンサーの声が大きくなったり小さく途切れそうになったりするのをラジオに耳を付けて聞いていると、やはり日本から遠く離れたところに来てしまったものだとつくづく思ったものです。
日本食から感じる人々の苦労と貢献
ジャカルタには出張者も含め常に1万人くらいの日本人がいると言われ、日本料理屋もたくさんあります。
なので、日本食に飢えるようなことはないのですが、駐在生活が長くなったある日本人に今何を一番食べたいかと聞くと間髪入れずに、何も贅沢なものはいらないからあったかいご飯に生玉子と醤油をぶっかけかきまぜて食べたいと言われたときには、私もただ黙って頷いてしまいました。
これにはちゃんとした理由があって、日本のみずみずしい光輝く味わい深いお米にはインドネシアでめぐり会うことは滅多になく、またインドネシアの玉子はいろいろなウイルスがいるので生では食べない方が良いと言われているからなのです。
JICA(独立行政法人国際協力機構)のジャカルタ駐在員の奥さんからは、インドネシアの田舎で働いている青年海外協力隊員の若者たちをジャカルタの家に招いたときに、日本から持って来たお米でおにぎりを作ってさしあげたら、そのおにぎりをみんな黙って涙を流しながら食べていたという話を聞きました。
それを聞いたときには、日頃言葉では言い尽くせない、彼らの異国での苦労の数々をしみじみと感じました。
とかく日本の海外協力は金や物の経済的支援ばかりで人的支援をしていないと言われたりしますが、インドネシアでは今でも多くの日本の若者たちが、インドネシアの人々のために汗を流して働いているのです。
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