バルセロナオリンピックで金メダル‼︎同僚に「おめでとう」と声をかけると…
“オリンピック”というと、1992年の“バルセロナオリンピック”の時のことを思い出します。
当時オリンピックのことは、インドネシアのメディアでも大きく取り上げられ、テレビではいつも各競技の模様が放映されて、新聞の1面には、連日各国のメダル獲得数が出ていました。
インドネシアが得意としている、バトミントンで金メダルを取ったときには、マスコミはその話題一色で、選手が帰国したときには、ジャカルタのメインストリートで大掛かりな祝勝パレードまで解催されました。
インドネシアが、オリンピックで獲得した初めての金メダルだったのです。
(東南アジアとしても初めて)
“さぞやみんなが喜んでいるのだろう”と私の勤めていた、ジャカルタの会社の現地スタッフに「金メダルおめでとう。」と声を掛けたら、彼は「何のこと?」と予想に反して冷めた反応だったので驚いてしまいました。
「だってバトミントンで金メダル取ったじゃない。」と私が言うと、彼は「あぁ、あれはオランチナ(オランは人、チナは中国で中国人)でしょう、プリブミ(ネイティブのインドネシア人)じゃない。まぁ彼らも表彰台の上ではインドネシア国歌を歌っていたけどね・・・」と、うれしい素振りをするどころか浮かない表情を示したのです。
オランチナ、華人
オランチナ”、いわゆる“華人”と呼ばれる人たちは、インドネシアでは人口の3%くらいしか占めていませんが、インドネシア経済の7~8割方を牛耳っていると言われ、インドネシアにとっては無視できない存在です。
中国人は、古くから海のシルクロードを経てインドネシアに来ており、インドネシア料理などにも中国文化の影響が見られます。
また東南アジア地域を植民地にした、オランダ人やイギリス人に優秀な労働力として連れてこられた中国人もいまが、“華人”といわれる人々の多くは、近代になって自発的に新天地を求めて、インドネシアへ移り住んで来ている人々のことを言うようです。
インドネシアにいる華人は、だいたい中国南部の主に福建省出身で、彼ら独自の情報網を築いて移り住んで来ています。
彼らは、たいてい始めに得意とする「刃」を使う三つの職業、つまり「包丁」を使う料理人や、「鋏」を使うテーラーと床屋を生業として暮らしを立て、事業が進展して財を築くととともに、金融界など経済の要所に進出し、インドネシア経済の核になってきているのです。
これは、他の東南アジアの国々の華人も、大なり小なり同じようです。
ただ、インドネシアでは3%の華人が、特権を得て富を独占し、プリブミであるインドネシア人たちには、一部の利権を握っている者を除くと、貧しい暮らしを強いられている人々が多いので、富の公平な配分がされていないために、事ある毎に華人に対する、インドネシア人たちの不満が爆発します。
1998年に発生した、首都ジャカルタの暴動のときにも、華人に多くの犠牲者を出し、多くの華人が国外へ避難したために、インドネシアの経済活動は一時停滞してしまいました。
今後の課題
今やインドネシアの華人の多くが、3代目4代目となってきていて、中国語の読み書きができない世代となっており、みなインドネシア語での教育を受け、インドネシアに馴化してきています。
政府も、従来あった華人に対する差別的法律(旧正月の中国の習慣や漢字の使用禁止など)を廃止したり、内閣閣僚に華人を採用したりして、華人にたいする待遇の改善を図っています。
インドネシアは、未だ政治状況に不安定要素を抱えているため、華人たちも安心して投資し商売をする環境となっていない面があります。
インドネシアが真に発展するのには、インドネシア人と華人とが、それぞれの過去の心の傷を克服し、両者の間にある、もろもろの障壁を乗り越えなければならないでしょう。
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