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マレーシア旅行で感じた民族の対立と共存-マラッカ・クアラルンプール-

リトルインディア

「民族の紛争が絶えない世界であるが、マレーシアを見ることによって、共存できるきっかけになればいい。」
とクアラルンプールにある、国立博物館の日本語のボランティアガイドさんが言っていた。

マレーシアを旅行したときのことだ。

5日間の旅だったから、マラッカとクアラルンプールを回っただけであったが、マレー系、中国系、インド系が
それぞれの文化を築いていることが分かった。

マレーシアは昔から色んな国に支配されてきた。

古くは、ポルトガルがスパイス貿易の為にやってきたその後、オランダそしてイギリスがやってきた。
太平洋戦争中には、日本軍がやってきて占領した。
戦争後はまたイギリスが支配した。。

支配されている間に労働力のため、インドと中国から人々がやってきた。

今回訪れた、マラッカでは、中心部がオランダ広場という名であった。
そして、そこに立っている看板は、「クアラルンプールまで何キロ」とか書いてある他に、
「ロンドンまで10,632キロ」「ポルトガルのリスボンまで10,432キロ」の距離が書いてあった。

‟なんでロンドンまで書いてあるんだろう”

とその時は思ったが、その後、博物館でガイドさんの話を聞いているうちに、
イギリスの植民地だったからであり、戦後当時の首相がロンドンへ出向き、
交渉だけで独立を勝ち取ったからだ、という事に気付いた。

街には、イスラム教のモスクがあり、中国の寺院がありカトリック教会があった。

ポルトガル人の末裔が住んでいる、という‟ポルトガル村”があるというので、行ってみた。
家のドアの前には、カトリックのためか、マリア様の絵が飾られていた。

いくつかの海鮮レストランがある‟ポルトガルスクエア”と呼ばれている所で、お茶を飲んだ。

店にいた常連さんの顔をみると、‟ポルトガル人だと言われればそうだなあ”という顔をしていた。

クアラルンプールで、泊まった場所がチャイナタウンであった。

夜になると、台湾にある夜市を思わせる賑やかさだ。

そのチャイナタウンをしばらく行くと、‟リトルインディア”と呼ばれる、インドの街があった。
以前インドの南の方へいったことがあるが、それと同じ空気であった。

「ああインドだ」と強く感じた。

クアラルンプールの中で、リトルインディアは二つあり、もう一つは中心になる大きな駅の近くにある。

大きな駅ビルや、ヒルトンホテル等が見える中にそれはあり、そこだけ‟インド”であった。
なんだか不思議な感覚だ。

かつて、マレーシアは民族同士が対立していた。しかしいまは共存している。

そこには、仏教・イスラム教・ヒンズー教・キリスト教もある。

もちろん、色々な問題もあるという。経済格差もある。

「インド系の料理は好きだけど、中国系の料理は食べない」と言っていた、マレー系の人もいた。

しかし、そうは言っても、民族は争わずともやっていっている。

それは、‟民族”よりも‟マレーシアの住民”ということを優先している、からだ。

私が介護の仕事をしているリハビリテーション病院でも、同じことが言えるのではないか。

病院には看護師、療法士、介護士がいるが、お互いが自分の仕事だけやっていればいいやと考えると、
仕事はうまくまわらない。

‟病院の職員”であり、いかに‟患者さんの為”になるか、を考えると、他部署との連携が欠かせない。

「そうだ、マレーシアを見習おう。」

とても勉強になったマレーシア旅行であった。

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KOSHINO
39歳で仕事を辞め、だいたい三か月ほどバックパッカーでアジア、ヨーロッパを巡る。帰国後、再就職し、仕事のシフトを調節しながらアジアを旅している。