カンボジアで日本語教師のボランティア
カンボジアにて、実はやってみたかったことがあったのです。
それは、日本語の教師支援のボランティアをすること。
それまでカンボジアは、アンコールワットなどの世界遺産が有名で、もちろんそれを見に行くためにカンボジアへ行きたい!と考えていたのですが、日本の友達がカンボジアでボランティアをしていたことを知り、私もやってみたい!と思って調べ出しました。
現地でももちろんボランティアを募集していて、探すことはできますが、私は少し高いのだけれど日本で「村のボランティアとホームステイ」のセットツアーを申し込んで行きました。
カンボジアのシェムリアップの空港に降り立ち、そこで村のガイドさんと合流。
その人は英語も話せたので、日本語と英語が混じりながらのガイドさんの車で1時間くらいゆられ、周りが全部野原に囲まれている、トンレアップ村にやってきました。
トンレアップ村には元々学校がなくて、こども達はみんな教育を受けられませんでしたが、2008年の10月に日本人を含め、4人の異なる国々の人たちによって学校が設立されたとのこと。
今、300人近くの4歳~20歳の生徒が通っていて、ここで日本語・英語教師のボランティアをします。
村に到着して、ホームステイ先を案内され、なんだか漫画にでてきそうなベッドに荷物を置きます。
今の時期は、ボランティアも少なくて、私1人だそう。
ホームステイの家族の方達も英語話せず、学校の先生も英語が話せず会話が成り立ちません。
1人、英語が通じる先生がいましたが、彼は初日に送り迎えしてくれただけで、会議で学校に来れず。
まるで…宇宙に来たみたいな感覚です!!!
ただ、生徒さんは日本語が少しだけ話せる子もいるので、本とジェスチャーと単語を駆使しながら、意思疎通をしていきます。
学校と家での日常
教師のボランティアをする以前に、まずはカンボジアの料理と気候に自分の体を適応させることが大変でした。
昼間は40度近くになることが当たり前の気候。
なので村人中の人が、その時間を休憩時間に当てています。
朝は4時くらいから活動を開始。
学校も5時くらいに登校して、両親が村に出稼ぎに出ている子どもが多いので、学校にて朝食(おもゆのようなもの)が配られます。
そして6時くらいから授業が始まります。
1時間半程度の授業を2回ほどやり、10時過ぎくらいには一度学校が終わります。
そこからそれぞれ家に帰宅し、お昼と休憩をとって14時くらいからまた授業をやるみたいなのですが…
なぜか私がボランティア中の1週間、一度も午後の授業が行われることはありませんでした…!!
結構、、、というかだいぶ、、、というかかなり!!
アバウトなんですよね。
とにかく昼間は暑すぎて、だるさが付きまといます。
村長さんもハンモックで寝ていらっしゃいました!
その村での生活は本当に面白くて、暑い中でもちろんエアコンもなく、家にはドアがありません。
なので、寝る時にはウチワが用意されており、トイレは部屋から80メートルくらい離れた広場に建ってます。
そこはお風呂のような大きな水槽と、ぼっとん便所のようなものが一緒になっていて、もちろんトイレは水が流れません。
お風呂もお湯ではありません。
なのでお風呂というより、水浴びをします。
そしてその水槽に溜まってある水でトイレを流します。
あいにく、私は食事が少し合わなかったのか、疲れが何かしら出ていたのかでちょっとお腹の調子が悪かったのですね。
夜中に林みたいな所を抜けて80メートルくらい離れた広場に行く時の怖さといったらただごとではありません。
ご飯は台所といってもガスコンロがあるわけではないので、朝お母さんたちが3時くらいには起きて、釜でご飯を炊きます。
「ニャンバイ」という掛け声がご飯の合図です。
釜で炊いたご飯が本当に美味しかったことを覚えています。
テレビとかももちろんなく、裕福な家庭が家に1台16インチくらいの小さなテレビを持っていて、家族全員で見たりします。
ただ、映りがとにかく悪いのであまり見れません。
遊びもゲームとかインターネットがあるわけではないので、私が行った時は子どもたちはビー玉遊びにハマっていました。
あとはハンモックに揺られていたり、追いかけっこしたり、歌を歌ったり。
学校で私は「だるまさんが転んだ」の遊びを子どもたちに教えたので、少しその遊びをやっている子どももいたと思います。
そんなトンレアップ村に1週間滞在し、ホームステイをしながら過ごしました。
カンボジアの村でホームステイをして考えさせられた本当の豊かさとは
環境や物の少なさを見ると、確かにこの村は貧しいのかもしれません。
ただ、私には、貧しいから可哀想、という考えは全くうまれませんでした。
なんでかというと、その村のご家族や子ども達は、とにかくよく笑い、よく遊び、なんだかHappyな感じがとても伝わってきました。
日本みたいに、物がたくさんあるわけではない。
便利なものがあるわけではない。
裕福なわけではない。
それでもカンボジアの子どもたちは、とにかく笑って楽しそうでした。
親がいないため、ボランティアの先生に甘える子どもは沢山いました。
ただ、それは日本の子どもでも沢山います。
結局、物があるない、裕福であろうとなかろうと、子どもにとってそこで暮らしている人にとってはそれが普通。
その子達を可哀想、と思うこと自体が、もしかしたら私のエゴなのかもしれません。
カンボジアにて、
「こんなに物がなくても私はHappyだよ!じゃあ、あなたはどんな状況が楽しくて嬉しいと感じるの?」
となんだか問われている感覚になったカンボジアでの村でのホームスティ。
たったの1週間だったけれど、そこで得た価値観や感覚は、今でも私の大きな財産になっています。
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