時間に厳しい日本。どう説明しますか?

時間に厳しい日本。どう説明しますか?

インドネシアのバリ島に長期滞在している日本人の知人はボランティアで日本語を教えつつ、バリの若い学生達との交流を楽しんでいます。

ある日CA(キャビンアテンダント、スチュワーデスさんのことです)養成専門学校に招かれ、生徒達に日本人客との接し方や日本の習慣などについて話すよう頼まれたそうです。

その学校は州都デンパサールから少し離れた田園地帯にあり、毎年20数人の卒業生のうち、大手でない航空会社に一人か二人合格すればいいほうだそうですが、近隣の女子達にはとても人気があるとのことでした。

彼女達を前に日本人客の喜ぶこと嫌がることなどに加えて「時間は守りましょう」と言ったところ、一人の生徒が手を挙げて「どうして時間を守らなければならないんですか?」と聞いたそうです。

これはかなり衝撃的な質問ですね。日本人にとって。

子供の頃から「時間は守りましょう」と教えられて育った私たち。

わずか数分の列車の遅れでも謝罪のアナウンスが繰り返される日常。

時間を守るなんてことは当たり前すぎて考えてみたこともありませんでした。

日本で暮らしていたら「遅刻は御法度」ぐらいの考え方でないといけません。

この知人が「時間は守りましょう」と彼女達に言ったのは少し理由があってのことでした。

日頃からバリの人達と頻繁に交流している知人は、1〜2時間の時間差(つまり遅刻)は日常茶飯事、約束時間はあってないようなものという日々の暮らしに振り回されていたのです。

しかし、分刻みの時間で運行している航空会社に就職したいのであれば、そして時間に厳格な日本人客を相手にするのであれば、ぜひ「時間を守る」という考え方を持ってもらいたかったとのことでした。

すでに知れ渡っているかもしれませんが、インドネシアは「時間にルーズ」と言われる国の一つです。

バリ島がインターナショナルな観光地であっても外から来た人間の習慣に合わせることはありません。

このルーズを何と言ったらいいのでしょうか。

日々バリの人々の暮らしに接していると「ルーズ=いい加減」とするには少し抵抗を感じるので、「おおらか」と考えることにしています。

そう理解していたとしても、インドネシアに暮らす日本人は少し辛いのです。

バリの人々が約束した時間に来ないだろうと解っていても、身にしみた習慣から時間通りに待ち合わせ場所に行き、犬のようにじっと待つことになってしまいます。

インドネシアのイスラム教徒は日に何回もあるお祈りの時間を守り、バリ島で一番多いバリヒンズー教徒も決められた約束ごとに沿った暮らしをしています。

バリヒンズーの人達は神様達やご先祖様への日々の行事をおろそかににすると気持ちが落ち着かないと言います。

ですが、約束した時間に相手が現れなくても、また1〜2時間相手を待たせたとしてもお互いの気持ちの中にさざ波は立たないようです。

インドネシアでも携帯電話やスマートフォンが行き渡り、SNS通信で頻繁に連絡を取り合っているようです。

しかし、待ち合わせのときに「ごめん。遅刻するからもう少し待って」とか「一体今どこにいる?あとどれくらいで到着する?」というようなやり取りは特にしないと聞きました。

物事の優先順位の中で「時間を守る」はずっと下のほうにランクインされているのだろうと私は想像しています。

遅刻はすべて悪なのか。社会に蔓延する息苦しさ

我が家はいま玄関周りの外壁の作業中なので外出できない日々が続き、昼間は舐めるように日本のテレビ番組を見続けている毎日ですが、あるドラマの中にちょっと気になる台詞がありました。

それは就活中の女子大生が足の痛みのために最終面接に遅れてしまい、面接官から「時間を守るのは社会人の常識。言い訳は通用しない。」と冷たく叱られる場面でした。

このドラマのように日本社会の、特に学校や仕事の場面で時間厳守は非常に大切なこと、遅刻はその人の評価をぐっと下げてしまうというような考え方があるような気がします。

日本で仕事をしていた頃の話。

時間厳守が基本の仕事だったので、その点について私もいつもピリピリしていました。

そんなある日、約束の時間より5分程度遅れてしまったことがありました。

遅刻する旨の連絡を入れることでさらに時間をロスすることを恐れて電話連絡をしなかった私の判断ミスも重なって、相手の方から15分以上にわたる強いお叱りを受けた私にはただひたすら謝ることしか許されませんでした。

その日、私には社会常識が非常に低いとの評価が下されました。

一方、ある事務所の経営者から、時間きっかりに来たことを大変褒められたことがありました。

ほんとうにたまたま時計の針が約束時間を指した時にドアをノックしただけのことでしたが、その日の私の社会人としての評価はとても高いものでした。

これらの一件から、日本人の時間に対する考え方はある種の息苦しさの記憶としてに残り、時間を守ることにあまり重きを置かないバリ暮らしの中では折に触れ思い出されるのです。

私の娘達がまだ高校生だった頃、鉄道の遮断機をくぐり抜けていた登校途中の女子高校生が電車にはねられて亡くなったことがありました。

遅刻しそうになって急いでいたとの新聞報道を見て、「遅刻」は自分の命を差し出すほどのルール違反ではないと娘達に話したことがありました。

日本では「遅刻しない」ことがベストですが、日々の暮らしの中では時として約束を守れない状況に陥るのも事実。

時間を守るために自分の、あるいは他人の命を差し出しかねない状況が時として起きる社会。

ストレスがあちこちで顔をだします。

日本は「時間にシビアな国」であり、それ故鉄道の発着時間の正確さを世界に誇っていますが、何事も時間厳守、遅刻はよくないといった日本社会の考え方が必ずしも世界標準ではないことも事実です。

シンプルな質問。だけど、改めて考えさせられる

「どうして時間を守らなければいけないの?」と聞くインドネシアの人に対する私達の回答はどんなものがあるのでしょうか。

社会環境や日々の生活の違い、先祖から培われて来た精神などいろいろな背景と同時に「時間を守らなければ」と必死になることからじわじわと生まれるストレスが蔓延していることについても話さなければなりませんね。

ちなみに、日本語はほんの少ししか理解できない彼女達を前に片言のインドネシア語では上手く説明が出来そうになかった知人は、「飛行機の運行は時間厳守で行われている。航空会社に勤務したければ時間厳守はあたりまえ。」という回答に逃げたそうです。

なるほど、日々の暮らしの根底に流れる考え方の深い違いを説明するのはとても難しいです。

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