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インドネシアの生の姿を紹介

クロンチョのライブ

私は1991年から1994年までの3年半ジャカルタのある日本インドネシア合弁自動車部品製造会社に勤務し、2001年までインドネシア関連事業に従事していました。

また、今日までインドネシアの伝統芸能のひとつである西ジャワのガムラン演奏活動をしています。

私たち日本人は、ふだんからともすれば欧米に目が向きがちで、私たちの隣人であるインドネシアをはじめとするアジア・アセアン諸国のことには、ついつい関心が向かないのが正直なところだと思います。

またインドネシアは、イスラム圏で最大の人口を抱えている国ですが、多くの日本人はイスラム教に対し、戦闘的・排他的等のネガティブな感じを持っております。

これは日本のマスコミがとかく過激なニュースを報じることが多く、また欧米経由のニュースにも彼らの価値基準による、色めがねを通したものがあり、それが原因になっていると思われます。

なかなかマスコミなどでは触れられないインドネシアの生の姿を紹介することで、インドネシアのことを少しでも知っていただければ幸いです。

日本でも親しまれた「かわいいあの娘」「ブンガワンソロ」

ソロ川

インドネシアには海のシルクロードの中継地として古くから東西のいろいろな文化が入り込み、音楽でも青銅製の楽器ガムランを使った古典音楽から現代的なリズミカルな音楽まで種々あって、中には日本でも知られている歌もあります。

だいぶ昔に日本でヒットした「かわいいあの娘」(”ノナマニス”、ノナは女の子でマニスはかわいいの意)という歌はインドネシアの民謡を日本語に訳詩したものです。

「かわいいあの娘はだれのもの♪かわいいあの娘はだれのもの♪かわいいあの娘はだれのもの♪あの娘はひとりもの♪」という歌で、インドネシア語の歌詞もほぼ同じ意味です。誰でも一度は聞いたことがある歌だと思います。

「ブンガワンソロ」(”ソロ川”)という歌は、中部ジャワから東ジャワのスラバヤに流れるソロ川を往来する商船の情景を歌い、クロンチョンというポルトガル音楽の影響を受けた曲で、戦時中インドネシアにいた日本の兵隊たちに親しまれ、戦後日本でも松田トシが日本語の歌詞を付けて歌いヒットしました。

昔この商船はソロ川を上っていにしえの都があった中部ジャワへの物資の運搬をしていたのですが、帰りの船で中部ジャワの山々から採掘された銀をソロ川の河口の港町スラバヤへ運んでいたもので、インドネシアを植民地にしていたオランダは、その銀を当時銀と金との交換レートが良かった日本の長崎に運び金と交換してもうけていたのです。

スラバヤはこのようにして昔から栄え、今は首都ジャカルタに次ぐインドネシア第2の都市となっています。

インドネシアの音楽

ダンドゥット

ちょっとユニークな音楽ではダンドゥットというものがあり、インドのビートのきいた音楽に似ていて日本で言えばさしずめ演歌のような位置付けですが、庶民に根強い人気があります。

パーティーなどでダンドゥットの曲を流すと、大人から子供までみんな腰をくねらせながら踊り始め盛り上がるのは良いのですが、なかなか終わらなくなってしまうのが困りものです。

もっともこのダンドゥットはちょっと下品だといやがるインドネシア人もいます。

ポップスのような現代的な音楽も盛んで、若手の歌手が歌っているものの中には日本人にも親しめる曲がたくさんあります。

インドネシアで歌手というとバタック族というスマトラ島北部の地方の出身者が多いと言われているのですが、バタック族はクリスチャンが多く小さいときから教会に通って讃美歌を歌っているので、音感が良くなって歌がうまいと聞いたことがあります。

インドネシア人の9割方を占めるイスラム教徒は礼拝の時に歌わないようですが、1日5回のお祈りときにお祈りの案内をするモスク(イスラムの祈祷所)から流れるアザーンの調べは、日本人にとって初めは騒音の最たるものながら、だんだん慣れてくると日本の謡曲に似た音階で声にコブシが効いていてなかなか良いものに聞こえたりします。

余談ですが、このモスクの音響システムの9割方は日本の某音響メーカーのものです。