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ミャンマーで日本軍慰霊碑を守るマンダレーの子どもたち

ミャンマー第二の都市マンダレー

ミャンマー第二の都市マンダレーにあるマンダレーヒルズは階段や坂を上がるごとに仏像が現れる不思議な建物である。

仏像はまるでパチンコ屋の様にきらめいていたり、また北海道にあるクラーク博士の銅像のように指をさしていたりするものもある。

その中で、第二次世界大戦中、ミャンマーで犠牲になった日本軍の為の慰霊碑があるというのがガイドブックに載っていたので見ようと思っていた。しかし、場所が分からなかったので、まあいいかと諦めてそのまま帰ろうとした。

そこに、兄弟と思われる二人の子供が現れ「ジャパニーズ?」と声を掛けられた。

そうだと答えると、あっちに行こうというような事を言った。

ミャンマーで日本軍慰霊碑を守るマンダレーの子どもたち

行こうという方向を見てみると石碑があった。漢字が見えたので、おそらく探していた慰霊碑だと思ったので「あー私探してたんだ」と言った。そしてその子たちに付いて行った。

マンダレーヒルズは靴を入り口で預けなければならず私は裸足だった。

その慰霊碑に行くまでの道は小石がごろごろ転がっているところを歩かなければならなかった。

しかし、私の前を歩く子どもたちは持っていた竹ぼうきで道の石をはいてくれた。そして、慰霊碑の前に着くと線香を差し出し火をつけてくれようとした。火は中々付かなかった。

するとどこからか、その子たちのお父さんのような大人が現れて火をつけてくれた。私は線香を立て手を合わせた。その子たちにお金を請求されることは分かっていたし、実際請求された。大したことのない金額だが。

お金を渡して、ワンツースリーと数えているのを見て、「ワンツースリーは日本語で、いち、に、さんだよ」とその子たちに言うと「いち、に、さん、ワンツースリー」と歌いながら帰った。

お金は請求するが、その子たちは私たち日本人の代わりに慰霊碑を守ってくれている気がした。

日本軍の為の慰霊碑

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KOSHINO
39歳で仕事を辞め、だいたい三か月ほどバックパッカーでアジア、ヨーロッパを巡る。帰国後、再就職し、仕事のシフトを調節しながらアジアを旅している。